人間原理という概念がある。
この世界には様々な法則があるけれども、例えば光の速度は1秒間に30万キロだとか、そういった物理法則が何故そういう数値なのかという説明をするために生まれた考え方で、手っ取り早く言えば、この宇宙が存在するのは人間がいるからである。という説明だ。
人間原理には弱い人間原理と強い人間原理とうものがあって、前者は、この宇宙がこういう法則で成り立っているのはそうでなければ人間が存在できないからだ。というもの。強い人間原理は、宇宙が存在するかどうかというのは人間がいるからできることで、いなかったら宇宙は存在しないものと同然でだから宇宙は存在しているというもの。
なんだか詭弁に近い感じもするが、簡略して説明するとそんなような内容だ。
最近はやりの人工知能に関しても実は弱い人工知能と強い人工知能という考え方がある。意外とこの二つを混在して理解している人が多いのだけれども、この二つを混在したまま理解すると訳の分からないというか、振り回されるだけになってしまうし、結果として人工知能もAIもいわゆるバズワードになってしまう。
なんだかものすごいことができるように言われたりする人工知能も大抵の場合は強い人工知能の視点で語られているだけであって、弱い人工知能の視点で捉えるとそこで出来る事柄というのはけっこう地味で、そこまで凄いことができるわけでもないんじゃないかというレベルだったりする。
この強いと弱いという視点は他にも言えることで、プログラムを作る段階でいろいろとチームメンバーと話をしたりするときに、弱いシステムと強いシステムとを混在して話をしたりすることが多い。ただ、そこで困ることがないのは、双方で何が強い部分で何が弱い部分なのかを把握していて、ようするにどこまでが実装可能な現実的な内容でどこまでが与太話なのかを理解して話をしているので、困らないのである。
そのいっぽうで、そういった与太話の部分が新しいアイデアに結びつくこともあるので現実的な内容の中に紛れ込ませて話をするのだ。で、僕はこういうことが好きなので、注意深く読み取れば判別できるようには話をしているのだが、強いと弱いを混在させるようなことをわりと平気でやる。
なので、強いと弱いを混在したまま平然として話す人間の内容を全て信用したら間違いである。
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