戸川昌子が亡くなった。
とはいっても戸川昌子って誰だと思う人も多いだろう。
作家活動をしていたのは1980年代付近までだし、全盛期は1960年代から1970年代あたりだろうから、今から50年近く昔のことだ。
かくいう僕自身も戸川昌子の小説を読むのはこれが初めてで、江戸川乱歩賞受賞作を手当たり次第読み漁っていた時期、戸川昌子の『大いなる幻影』の存在は知っていたけれども、なんとなく戸川昌子自身がシャンソン歌手としても活躍しているという部分も含めて、当時の僕が好んでいた本格ミステリっぽさが感じられなく、ミステリの味付けをした風俗小説という勝手なイメージを持ってしまったために敬遠していたのだ。
というわけで『猟人日記』を読む。
イワン・ツルゲーネフの『猟人日記』ではなく、戸川昌子の『猟人日記』だ。
で、いまさら読んでみようかと思ったのは新装版として復刊したためなのだが、文庫にして300頁強。活字の大きさも大きいことを考えると、当時の小説は今よりもコンパクトにまとめられていたよなあ、と思う。
買ってから4ヶ月以上もそのままにしていたのはさておき、なにしろ50年以上も昔に書かれた物語、古びてしまっている部分もあるのは仕方ないよ覚悟して読んでみたのだが、これが全然古びていなくて驚いた。もちろん、書かれた時代が昭和の時代なので当時の生活の様相などは古臭さを感じるのだが、それは昭和という時代の描写が的確だということであって、古くて当然なのである。そしてそれ以外の部分はまったく古びていない。
前半は、女性遍歴を繰り返す男性の視点による物語。彼が一夜をともにした女性は次々と何者かによって殺されていく。それも殺人事件があった時間の、彼のアリバイを証明してくれる女性ばかりが殺されていくのである。いっぽう読者の方は、彼を陥れようとする人物視点のエピソードが挿入されているので誰がそうしているのか想像がつく形となっている。そして物語の後半は、殺人犯として逮捕され、死刑判決を受けた彼の弁護士の視点の物語となる。彼の無実を証明するために調査が行われるのだ。前半は追われるもの、後半は追うものの視点でもある。
コーネル・ウールリッチの作品にも通じるサスペンスミステリなのだが、終盤のどんでん返しが強烈。まるで見えないところから必殺パンチを食らったボクサーのような感じだった。
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