振り返ってみると平成という時代よりも昭和という時代のほうが面白いと感じるのは単に歳をとり、物事に対しての目新しさというものが少なくなってしまったせいなのか、それともいわゆる思い出補正というものなのか。
しかし、今のように情報が氾濫している時代、これはこれで知識欲の多い僕にとっては知りたい情報がたやすく手に入るという点では素晴らしい時代なのだけれども、情報が細分化してしまい共同幻想というものが構成されにくい時代でもある。つまり個というものが優先的になってしまい、集団の中の1人というものがうまく機能しにくくなっているような気がする。
この本を読んでより一層そういう気持ちになったのは、やはり昭和という時代が面白かったのは、西崎義展のような面白い人間が面白いことをやってくれて僕たちを楽しませてくれたからだと思う。西崎義展の他に、康芳夫という人もいて、ネッシー探検隊とか、モハメド・アリ vs アントニオ猪木戦とか、小学生の僕達を楽しませてくれた。おそらくこれらのイベントは小学生だったから一番楽しむことができただろうことを思うと、ものすごく幸運な時代に生まれつくことが出来たと思う。
西崎義展も康芳夫もプロデューサーであり興行師であったが実業家ではなかった。起業して実業家を目指す人は多いけれども、プロデューサーを目指す人はおそらく少なくなってしまっただろうし、そういう人が現れなくなってしまったのが面白くなくなってしまったと感じる原因の一つかもしれない。まあ秋元康とかいるのでプロデューサーがまったくいなくなってしまったわけではないけれども、秋元康には西崎義展や康芳夫にある狂気としか形容しがたい何かが感じられないので物足りなさはある。ホリエモンこと堀江貴文も似ている部分はあるけれども、やはり西崎義展や康芳夫のような突き抜けた面白さと比べると健全すぎて物足りない。康芳夫はどうしているのかなと思っていたら、俳優として活躍しようとしているらしくて、とことん楽しませてくれる人だなあと思う。
とはいえど、西崎義展も康芳夫も決して友達にはなりたくはない、というか関わり合いたくはないタイプの人なので、あくまで彼らが見せてくれる世界を少しだけ垣間見るだけで充分なのだ。
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