映画化された『海街diary』を観た。
原作をうまく映像化したものだと思う。
映画のキャスティングが発表された時に、長女役が綾瀬はるかだったというのがちょっと違うんじゃないかと感じたのだが、実際に映画を観てみると違和感は感じなかった。
この映画は葬式で始まり、葬式で終わる。
原作は遺産相続といった金銭問題とか、人の死、さまざまな愛憎といった部分が臆面もなくダイレクトに描かれていて、わりと人間関係のドロドロとした部分があるのに対して映画の方は、原作における日常生活の綺麗な部分を大きくすくい取って、ドロドロとした部分はあまりすくい取ってはいない。それ故に美しく、綺麗で、淡々と話が進み、盛り上がりらしい盛り上がりもなく終わるのだが、いい映画になっている。アライさんが登場しないけれども登場していたのは良かった。
しかし、映画は映画、原作は原作であるといいながらも、どうしても原作と比較してしまうのが、綾瀬はるか演じる長女の恋愛エピソードの部分である。
長女は病院の看護師、そして彼女が付き合っている相手は小児科の先生。ただし、相手には別居中の奥さんがいて不倫関係である。
この物語は三姉妹の父親が別の女性を好きになって家を出て行ってしまい、出て行った先で腹違いの妹、つまり四女が生まれるという設定で、その父親が亡くなり、長女はこの四女を引き取って一緒に生活をするという話だ。長女からすれば四女は、自分たちの父親を奪った女の子供であり、四女は四女でそのことを理解していて、負い目を感じ、それ故に誰かを傷つけてしまうような恋愛はいけないと長女に言う。しかしその長女は誰かを傷つける恋愛をしている。
なかなか複雑な状況なのだが、僕が気になってしまうのはその部分ではない。
長女の恋愛相手の小児科医が奥さんと別居となっってしまったのは、小児科医が仕事熱心なあまり家庭を顧みなくなってしまったことで、そして奥さんは家を出て行ってしまい、その後、心の病を患う。
小児科医が奥さんを見捨てて自分の幸せを求めてしまうという気持ちは、理解できないことはない。のだが、それはあくまで理性で物事を考えた場合であって、気持ちとしては心の病を患った奥さんを見捨ててしまう彼の行動を許すことができない。
映画では堤真一が彼の役を演じていて悪くはないが、だいぶ軽すぎる感じがした。そして、僕とは違う、いや、僕が選ぶことを否定している選択肢を選んだ彼を許容することができなかった。
原作では彼と別れた後の場面で、長女のモノローグが挟み込まれる。
心を病んだ妻を
支えられなかった
という想いは
彼の心の奥底に
澱のようにたまって
決して消えることは
ないだろう。
原作でも映画版でも彼は結局、自分の人生を選び、結果、奥さんと離婚をしアメリカに留学をする。しかし原作では、長女のこのセリフがあることで、彼のそれまでの苦悩と彼がこの先、死ぬまで持ち続ける苦悩があることを暗示させる。少なくとも自分勝手な思いで離婚したり留学したりする人物ではないように描かれている。だから原作のほうでは彼を許容することができた。
もちろんこれはフィクションであるし、現実の場合でも、百人いれば百通りの生き方がある。自分とは相反する生き方を選んだとしても、僕が文句を言う権利などない。
原作でも映画版でも、長女がこう言う場面がある。
心の病気になってしまった人と向き合うのは並大抵のことじゃないのよ。
病気のせいだって頭ではわかっててもやり切れないことだってあるのよ。
これは僕の甘えであることは十分承知の上だが、ときどき誰かにこう言ってもらいたくなることもある。
コメント
ひがしちわさんのYouTubeも光を感じるツールの一つでした。
ヘッドホーンで寝て聴くことからはじめてもいいですよ。
毎日続けると、振動を感じてきます。疲れたあなたへ。
kiyokoさん、ご心配ありがとうございます。
落ち込むことはあっても疲れきってはいないので、まだ大丈夫です(^^;