自転車にのるクラリモンド

物語はよく読むが、詩はほとんど読むことがない。
なので、詩集そのものを買うことはほとんどなかった。
唯一の例外が谷川俊太郎で、『二十億光年の孤独』と『空の青さをみつめていると』だ。どちらもタイトルに惹かれて読んだのだが、そこから先、詩の世界へと進むことはなかった。
今でも詩を読むということはほとんどない。ほとんどないというのは、たまに読んでいる本の中で誰かの詩が引用されていたりすることがあるのでその時には読むという程度である。
でも、そこからその人の書いた他の詩を読んでみたいと思うことはなかった、東直子の『トマト・ケチャップ・ス』を読むまでは。
この小説の中で、石原吉郎の「自転車にのるクラリモンド」という詩が引用されていた。

自転車にのるクラリモンドよ
目をつぶれ
自転車にのるクラリモンドの
肩にのる白い記憶よ
目をつぶれ
クラリモンドの肩のうえの
記憶のなかのクラリモンドよ
目をつぶれ
 目をつぶれ
 シャワーのような
 記憶のなかの
 赤とみどりの
 とんぼがえり
 顔には耳が
 手には指が
 町には記憶が
 ママレードには愛が
そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった
 自転車にのるクラリモンドの
 自転車のうえのクラリモンド
 幸福なクラリモンドの
 幸福のなかのクラリモンド
そうして目をつぶった
ものがたりがはじまった
町には空が
空にはリボンが
リボンの下には
クラリモンドが

今まで読んだことのないタイプの詩だった。
どんどんと高みに登っていくような力強さと、それでいて突き放したような孤高。
この人の他の詩を読んでみたいと思った。
が、この詩が収録された本は絶版で、そもそも今では忘れ去られてしまった人でもあり、古書で4万8千円などという高値で、とても手が出るものではなかった。
がしかし、幸運なことにタイミングよくこの本が復刊されたので買って読んでみた。
そこには読む側の人間を寄せ付けないような孤高の世界があった。

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