技術と哲学

仕事柄、新しい技術には関心を持っているけれども、この本で紹介されたもののうちいくつかは初めて知るものだった。
ひとつはSR、そしてもうひとつは4Dプリンター。
仮想現実がVR、拡張現実がARと呼ばれている。そしてSRもこの系統の技術のひとつで代替現実のことをSRと呼ぶらしく、このSRについて研究している人がいる。
その他にMR(複合現実)なるものもあるらしいが、ここまでくると現実というのはいったい幾つ存在するのかと問いたくもなる。
で、SRに話を戻そう。
そもそも代替現実とはなんなのかということなのだが、これは本来存在していない世界を存在しているかのように見せることらしい。
というわけで、代替現実を体験するためにはやはりヘッドマウントディスプレイのように、現実の世界を切り離すための装置が必要なのだが、そこで見せられる、あるいは感じさせられる世界というのは、数時間前の過去の映像や音だったり、今いる場所とは異なる場所の映像だったりする。
それのどこが面白いのか、あるいはそれが何の役に立つのかという疑問も出てくるのだが、この本の著者はそういったことにはあまり触れはしない。すなおにそれを受け入れ、実際に体験してみてそれが一種の悟りの境地にも感じられると言うのである。言われてみれば悟りというものはそういうものに近いのかもしれない。現実を別の形に置き換えることで実感することができるのが悟りだということだ。
この本は、最新技術に関わっている人たちに対するインタビューという形式なので、技術をわかりやすく解説してくれる本だと思っていると、まったく違う世界へと誘ってくれる。
それはつまり、この本のタイトル『明日、機械がヒトになる』につながっていて、SR技術は悟りの世界を見せてくれる。それは人だけが悟りというものを感じる、あるいは体験することができるというわけではなく、機械が悟りの世界を構築してくれるかもしれないという可能性を見せてくれる。
機械、あるいは技術がどこまで人に近づくのか、それは突き詰めていけば人は機械と変わりはないということを証明しようとしていることでもあり、最新技術を研究していくということは同時に人とは何かという哲学的な問題とも向き合わざるを得ないということでもある。
技術者であろうとすることは、自分の技術を磨くことだけではなく、身につけたあるいは身につけようとする技術の哲学的な問題もふくめて理解しなければいけないのだということをこの本は教えてくれる。

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