もう一つの時

プログラムを書くことを生業としながらも根はアナログであるということは以前にも書いたが、そういうわけで電子部品よりもボルトとナット、そして歯車の方が好きなのだ。
和時計というものがある。いや、今では日常生活で使われることなど無いので、あった、と書いたほうが正しいかもしれない。
和時計というのは西洋の時計とは別に、日本で独自に進化した時計であり、それは1日を24等分した現在の定時法による時計ではなく、江戸時代まで使われていた不定時法による時間を図る時計のことである。
1日を昼と夜に分け、さらにそれを6等分する。だったら定時法とたいして変わらないではないかと思う人もいるかもしれないが、ここでいう昼と夜は日の入りから日の出までを基準にしている。つまり、夏は昼の時間が長くなり、冬は逆に昼の時間が短くなる。結果として6等分されたそれぞれの時間の長さも一年を通して一定ではなく日ごとに短くなったり長くなったりを繰り返す、だから不定時法と呼ばれている。
そんな面倒な時間を測るための時計となると定時法の時計よりも複雑になり、定期的に文字盤を変えるか、時計の針の動きを変えるかどちらかで対応するしかない。前者のタイプの和時計であれば針の移動速度は一定なので今の時計でも、15日ごとに文字盤を入れ替える作業をすれば、不定時法の時間を測ることはできる。しかし、後者となると針の移動速度が変化するので極端に仕組みが複雑になる。なかでも、昼用と夜用の振り子を持った二挺天符式の時計となると、15日ごとに振り子の重りの位置をずらしてやる必要はあるものの、機械好きとしてはかなり魅力的な機構を持った時計だ。
そんな二挺天符式の時計が学研の大人の科学として発売された時には有無をいわさず購入し、組み立て、その巧妙さに息を巻いたのだが、残念ながらそこまでだった。
実用レベルの出来ではあったものの、和時計によって告げられた時を基準にする生活が出来るはずもなく、和時計は単なる飾りとして棚の上に置かれ、引っ越しの際に荷物を整理するために捨ててしまった。
今のような時間に縛られるような生活から離れ、和時計が告げる時とともに生きる生活ができるようになったとき、あるいは老後の楽しみとして再びこの和時計を使ってみようと思う。

コメント

  1. 五十八 より:

    不定時法とう複雑な時間に合わせた「時計」を考案してしまうという日本人の頭脳ってすご過ぎると思ってしまいますね。
    しかし、なんでそんな複雑な時の刻み方を採用していたんでしょうねえ。
    きっとそのほうが生活をしてゆくには便利なところがあったのでしょうね。
    昔は昼の明るい時間にしか「活動」できなかったから、明るい間にすべてのことを処置しなくちゃならなかったので、そういう時間になったのでしょうかね。
    他にもその方(不定時法)が便利なことがあったのかもしれませんね。
    あ、またまたお邪魔しました・・・

  2. Takeman より:

    >しかし、なんでそんな複雑な時の刻み方を採用していたんでしょうねえ。
    昔は時計というものが無かったからだと思いますが、今のように時間にしばられるような生活ではなかったせいもあるかもしれませんね。
    とはいえども、今のように定時法に切り替わってしまったということはやはり不定時法だと不便なことが多かったからかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました