技術者の心技体というものを考えることがある。
技は文字通り技術。
体は体力でいいだろう。
では心はなんだろうか。
金子勇という人がいた。
世間ではWinnyというファイル共有ソフトの作成者ということで有名だったが、僕にとってはNekoFlightの作成者という認識しかなく、長いことWinnyの作成者がNekoFlightと同じ人物だったことに気が付かなかった。
Winnyというソフトウェアに関しては毀誉褒貶いろいろとある。
ものすごくよく切れるナイフを世に出したらそのナイフでもって人殺しが大量に生まれてしまった。というのが一般的なイメージかもしれない。
その是非に関してはここでは語らない。
ただ、Winnyというソフトウェアを世に出したことによって金子氏は警察に逮捕され、最終的には無罪となったが、Winnyというソフトウェアに関わることを禁じられてしまった。
技術者として思うのは、自分の作った物に欠陥があるのがわかっていても、それを直すことが許されないという状況は辛いものがあるということだ。
金子氏の倫理観がどうだったのかはわからないが、Winnyというものを2ちゃんねるという場所で公開すればどのような使われ方をされるのかは予想がついたのではないかと思う。ひょっとしたら性善説にとらわれていて、悪意のある使われ方などされない、もしくはされたとしても微々たるものだという認識だったのかもしれない。
金子氏の件を思うと自分が技術者として後悔しないためには常に倫理について考えておく必要があり、自分の作ったものがどのように使われるのか、悪用される可能性はあるのか、ということを考えるべきなのだと思う。
つまり、お前の作ったものは人の役に立つものなのか。
ではなく、
人を悲しませたり苦しめる可能性があるか。
という問いかけだ。
ということで技術者の心技体における心の部分は倫理なのではないだろうかと思っている。
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