熊と踊る

アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレムの新作が出た。と思ったら、少し違った。
アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリだった。
アンデシュ・ルースルンドがベリエ・ヘルストレムとのコンビを解散して新しくステファン・トゥンベリとコンビを組んだのかとと思ったのだが、それも違って、どちらのコンビも共存しているらしい。日本ではこういうタイプの作家は珍しいが海外だと作品ごとに共作者を変える作家は少なくない。
共作者が異なるのでアンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレムの作品のような切れ味の良い衝撃的な展開こそはないけれども、畳み掛けるような圧倒的な重圧感が堪能できる。
そもそも1990年代に起こったとある事件を題材としている、限りなくノンフィクションに近いフィクションで、それでいて、その事件の内容はというと、まるで小説のような内容であり、事実は小説よりも奇なりという言葉を地で行くような内容だった。
タイトルにある『熊と踊れ』という意味に関しては読んでいくうちに判明していくのだが、危険な生き物である熊と踊るということから想像できるように、一歩間違えれば死に直面する危うい綱渡りのような行為でありそれは主人公たちの選んだ生き方でもある。
暴力と共に育った、そして暴力から逃れることのできない生き方、暴力でしか自分自身の生き方を表現することのできない男たちの物語であり、それはどことなく舞城王太郎の物語を彷彿させる部分もある。奇しくも舞城王太郎の短編に「熊の場所」という話がある。
「恐怖を消し去るには、その源の場所に、すぐに戻らねばならない。」
舞城王太郎の場合の熊も恐怖の存在である。
そして舞城王太郎が奈津川サーガで家族を描いたように、この物語も家族の物語である。
暴力でしか家族の愛情を示すことのできない父親。その父親に反発しながらも、自分自身も父親と同じく暴力にとらわれる長男。そしてその暴力から逃れることを選ぶ弟たち。しかし、それでも彼らは血のつながりがあり家族であり、家族であることからは逃れようとはしない。
だから、すぐ側に熊がいても、熊と踊るしかないのである。

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