夜中にふと目が覚める。
隣で寝ている妻の手に触れる。
温かい。
ふと思った。
いつの日か、冷たい手に触らなければいけない日が来るのだと。
死は誰にでも平等で、だから、冷たい手に触れずに済むとすれば、それは僕が先に死んだ場合のことだ。
冷たい手に触れたくはない、だけれども、冷たい手に触れずに済むということはもっとしたくはない。
いつの日か、冷たい手に触れなければいけない日が来る。それを思うと、挫けそうになる。
けれども、少しでも長生きをしよう。
僕はあと何回、妻の温かい手に触れることができるのだろうか。
コメント
挫けないで下さいね。
いつか来るとは思ってはいたが・・・。
老いも死も、これまた自然の理
いやいや、毎日を「おかげさま」と感謝して
今日の一日を生きたいものよ。
そろそろ終活を考える年になってしまいました。
夫婦でいるからこその人生です。
別れが来るその日まで、自分らしく精一杯生きたいと思います。
人は思い悩み、悔いたりするものです。
思い残すことはあっても、やっぱり精一杯で生きたい。
そう思います。
どら猫アンドレさん、bunbukanさん、いちごいちえさん、コメントありがとうございます。
50年近く生きてきてようやく、自分の死には、まあ仕方ないかなという気持ちになれるかもしれない、と思えるようになったのですが、他人の死、特に妻の死に関しては多分そんな気持ちになることはできそうもないですね。