高浜寛という作家の存在を知ったのは『蝶のみちゆき』からで、それ以前の作品はまだ読んでいないものが多い。そういった乏しい読書履歴の範囲内の中でいえば、高浜寛という作家は重苦しい題材を扱いながらも作風は重苦しくなく美しく仕上げる作家だと思っていた。しかしこの「SAD GiRL」を読んでそれは間違っていた、いや一面しか見ていなかったことに気付かされた。
物語が始まってすぐに主人公である村上詩織が睡眠導入剤の大量摂取による自殺未遂をした翌日の物語であることが明らかにされる。ひょっとしたら村上詩織は既に死んでいて、自分が死んでいることに気が付かないというファンタジー方向の話になるのかとも思ったのだが、それはすぐに裏切られる。
重苦しさ炸裂である。
彼女は結婚していているのだが子供はいない。自殺未遂をした翌日にそのまま失踪し、元彼の元へと転がり込む。現状から逃げていくのだが、転がり込んだ先でも希望があるわけではなく、さらにそこから次々と逃げていく。やがて逃げ道すら無くなっていく。逃げることしかしていないのだから当然である。しかし、彼女には逃げることしかできないのだ。
逃げることしか選択肢がないという状況が余計に重苦しさとなって、読むのさえ辛くなる。
が、最後に彼女がたどり着いた地点は、何も解決していないながらも希望がある。
この希望にたどり着くためには沢山の絶望と向かい合わなければたどり着くことができないというのは、それでも生きろということなのだろうか。
後半に収録されている作品はうって変わって、もう少し明るい作品で、「SAD GiRL」で打ちひしがれた読者を現実まで引き戻してくれる。
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