蜜蜂と遠雷

音楽を扱う物語に対して、アニメならば動く絵と止まった絵と、そして音楽と、言葉を使うことができる。
漫画であれば、止まった絵と文字でもって表現をすることができる。
それに対して、小説はとなると、音も絵も使えず、もっとも文字を使ったタイポグラフィは可能だが、それでも文字しか使えない。
では小説で音楽を表現するのはできないのかといえばそんなことはないし、他の表現手段に対して不利なのかといえば必ずしもそうではない。
中田永一の『くちびるに歌を』などは実際に存在する曲を使っているので読んでいて頭の中でその曲が流れてくる。
読み手の想像力がうまく作用すれば、文字だけでも音楽は感じ取ることができる。
恩田陸の『蜜蜂と遠雷』はピアノコンクールを題材として物語だ。
クラッシック音楽に疎い僕は曲の題名が書かれていても、それがどういう曲なのかわからない場合が多かったのだが、そういう点では読んでいて音を感じるということはあまりなかった。
『蜜蜂と遠雷』は音楽家達の物語だ。
ピアノコンクールというと一色まことの『ピアノの森』を思い出す。
あれと比べてどうなのかなどと比較するものではないのだが、『ピアノの森』では主人公がピアノコンクールで優勝するまでの物語であって、そしてコンクールの最中であっても、だれが優勝するのかという事は物語の焦点ではない。
一方、『蜜蜂と遠雷』では三人の天才が登場する。正統派の天才、異端児としての天才、そして過去の天才。
一次審査、二次審査とコンクールの参加者は少しずつ脱落していく中で、三人の天才達はコンクールの最中でありながら成長していく。だから一次審査、二次審査と同じことを繰り返しているようでいて、螺旋を描いて上昇していっているのだ。

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