死んでいるかしら

買おうか買わまいか迷ったのだけれども、実際に書店で手にとって見て薄かったのと、箱に関するエッセイが入っていたので買ってみることにした。
なんで箱が決め手になったのかといえば、以前に、架空のアンソロジーとして箱をテーマにしたアンソロジーを考えた事があったからに他ならないのだが、もちろんこの本での箱のエッセイはアンソロジーを目的としたものではなく箱をテーマにしてエッセイを書いているだけにすぎない。
しかし、作者がここで挙げている作品は、言われてみれば確かにこの作品も箱をテーマにした作品だったよなあと、思う作品ばかりで今更過去の記事に手直しをして作品を追加するつもりはないのだけれども、まだまだ探せばいろいろと出てきそうだと実感した。
タイトルが少し物騒でもあるけれども、そこは過去にそういう系統の作品も翻訳したことのある作者だけあって、収録されているエッセイは少し不思議というかエッセイだと思っていたら創作だったりと一筋縄ではいかない話も多い。
ゴミ屋敷のコリヤー兄弟の話などは、日本でも時々、ゴミ屋敷の問題がニュースになることがあるけれども、これって万国共通というかアメリカでもゴミ屋敷はあって、とくにコリヤー兄弟のレベルになると桁違いのゴミの量になるけれども、ゴミを溜めてしまうという心理状態には理解できる部分もあったりするのでちょっと考えさせられたのだが、このコリヤー兄弟の話、今回初めて知ったと思ったら、以前に荒木飛呂彦・鬼窪浩久『変人偏屈列伝』で読んでいたことを思い出して愕然とした。これだけインパクトの強い話なのにすっかり忘れてしまっていたのはたぶん、『変人偏屈列伝』での他のエピソードの方が印象深かったからに違いない、と思うことにしよう。
そして、僕が子供の頃、左卜全という人が歌った「老人と子供のポルカ」という歌が、まだテレビで時々流れていて、「ズビズバー、パパパヤ」といい奇妙なオノマトペが印象深い変な歌だったんだけれども、この歌がただ単にオノマトペがおかしい変な歌というだけではなく、社会問題を歌ったメッセージソングであることをこの本を読んで、初めて知った。

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