少し前から妻は断捨離をしている。
不要なものを捨てるという行為そのものは別に悪いことではないがものすごく嫌な予感がしている。
不要なものを捨てるという行為はようするに身辺整理でもある。
妻はときおり早く死にたいという。
妻にとっての断捨離は身辺整理でもあり、それは自分の死を覚悟、あるいは死ぬことを前提としたものでもある。
自分が死んだ後に残された僕が遺品整理で困らないようにあらかじめ整理しているのではないかという思いに駆られる。
しかし、それを妻に問いかけても妻は返事をはぐらかすだけだろう。聞く方も聞きづらい。
かといって断捨離を止めさせたところで何かが変わるわけでもない。
以前にも妻は断捨離をしたことがあった。統合失調症を再発させてしまった時のことだ。その時は僕たちの新婚旅行の時の写真を捨てようとした。
もっとも、それはプリントした方であってオリジナルデータは残っているので捨ててしまっても構わないといえば構わないし妻もそのことを知った上でのことだったのかもしれない。
でも僕は捨てるのを止めさせた。
今回はあくまで自分のものだけを捨てているようだが、自分のものだけを捨てているからといって、後で捨ててしまったことを後悔するようなものまでも捨ててしまうかもしれないので安心してばかりもいられない。
断捨離というと少しかっこいいように聞こえるかもしれないが、それは思い出を捨てることだ。
身辺整理をしている妻をみていると、少しづつ自分自身を捨てているように思えて悲しみが止まらない。
妻が捨てていったその空いた場所を僕はどうやって埋めてあげることができるのだろうかと考える。
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