どこか遠くの話をしよう

久々に須藤真澄の漫画を読む。
この前に読んだのは『グッディ』だから、約3年ぶりだ。
絵柄に関しては以前より整った感じになったかなというぐらいで、相変わらず線をツーテンツーテンと、
-・-・-
こんな感じで描いていて、これがないと須藤真澄の絵とはいえないよなあと思わせられてしまう。
正直言うと、最初の第一話を読んだ時点ではこれまた絵柄と同じようにいつもの須藤真澄の世界で、『グッディ』が少し変化させてきたのに対してまた元に戻ったのかと期待値が下がってしまった。
しかし、それは僕の浅はかさであった。
舞台は南米の人里離れた山奥の村。幼いころに父親を亡くし、それがきっかけで物と話ができるようになった少女、チロが主人公。チロは祖母と一緒に生活をしているが、祖母も息子を失ったことにより言葉を失ってしまっている。
そんな村に一人の男がやってきたことから物語は始まる。
彼は記憶を失っており、さらには異国の言葉しか話すことができないので意思の疎通もできない。そこでチロの持つ能力が役に立つ。
男の持っていたカバンとその中身に触れることによって少しずつ男の正体がわかってき始めるのだ。
しかし、彼が持っていた物から手に入る情報は断片的なものばかりで、その断片がどのように組み合わさるのかはなかなか見えてこない。上下巻の上巻を使ってその部分がゆっくり丁寧に描かれるのだが、上巻の終盤、これまでの雰囲気をひっくり返すような衝撃的な事実が明らかになる。男は未来から来たのだ。物と会話のできる少女ということでファンタジーだと思っていたらSFになった。
タイトルにある「どこか遠く」の遠くは想像だにしない遠くであったのである。
下巻では男の過去、つまり未来でどのような生活をしていたのかが描かれるのだが、いや驚いた。
須藤真澄がこんな話を描くとは思わなかったのだ。
決して目新しい未来世界ではないのだが、そこに須藤真澄のいつもの世界を放り込むと未来も一気に日常となる。
徐々に明らかになっていく男の過去。それはとても切なく悲しく、男が選んだ方法は、たしかに自分でもそのような方法を選ぶだろうと思わせるものであり、同時にとても悲しい選択でもある。
しかし、そこから須藤真澄は再生への道を描き出す。それは静かで、温かい道だ。
どこか遠くの話をしよう

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