高橋留美子の『めぞん一刻』という漫画のとある回の題名に「春のわさび」という題名があった。
ちょっと変わった題名だなと思いながら読み進めていくと、なぜこのような題名が付けられたのかわかり、なるほどと感心させられた。
わさびという言葉から想像がつくように、ぴりっと辛い内容だったのであると同時に、そこに至るまでの話が実は物語といえるほど深く語られていたわけではなくいわば助走段階にすぎず、この回にきてようやく『めぞん一刻』という物語が始まったのだということに気が付かされた。
この漫画の題名もそれに負けず劣らず、いやそれ以上に不穏な題名である。春という言葉の持つイメージからかけ離れた呪いという言葉、それは何を意味しているのだろうかという点でこの漫画の存在を知った時にものすごく気になった。
病気で亡くなった妹の婚約者と付き合うことになった主人公夏美。亡くなった妹の名前は春。
「春のわさび」における春は季節としての春だったの対して、こちらは人の名前としての春である。つまり人による呪いだ。
そして春は物語が始まった時点ですでにこの世にはいない。
春の呪いは春本人による呪いなのだろうか、いやそれでは単なるホラーになってしまう。
呪いは残された人間の罪悪感によるものなのだ。
好きになってはいけない人を好きになってしまうということの苦しみの中で残された二人はぎこちなく生きていく。
全二巻という分量で、きれいにまとまっていて、もちろん二人の選んだ結論はそうなってくれればいいなと思う結論であり、だから予想もつかない衝撃的なラストなどなく、都合の良すぎる結論と思う人もいるかもしれないが、読み終えて十分な満足感を得ることができる。
呪いをかけたのは主人公自身であり、そして死者とどう向き合うのかを決めるのも当事者の問題である。読み手としては、主人公が良い結論にたどり着いたことをそのまま気持ちよく受け入れたい。
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