権力とは人間の精神をずたずたにし、その後で改めて、こちらの思うがままの形に作り直すことなのだ。
古典ディストピアSFというと、エヴゲーニイ・ザミャーチンの『われら』、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』、そしてジョージ・オーウェルの『一九八四年』だと思う。
とりあえずこの三作を抑えておけばディストピアというものがどういうものなのかということはわかる、という一方であくまで古典ディストピアであってそれ以外の形としてのディストピアというものももちろんある。
が、あまりディストピアを扱った物語は好きではないので長いことこの三作は読まないままだった。意を決して『われら』を読んでその勢いというわけでもないが光文社が新訳を出してくれたので『すばらしい新世界』を読んで、その後『一九八四年』の新訳も出たのだが長いこと積読のままだった。
やはりディストピアの物語は読んでいて気が滅入るのである。
が、官僚による公文書改ざん事件がおきて、それに合わせてか版元の早川書房が『一九八四年』のことを、「主人公の仕事は文書改ざんです。」などと紹介してくれたりするものだからこのチャンスを逃す手はないと思い読み始めた。
少し前に馬伯傭の「沈黙都市」も読んだことだし。
訳者あとがきを読むと、本国のイギリスでも、読んだことはないのに読んだふりをしている小説の一番目がこの『一九八四年』だとかかれていて、だったらいままで積読のままでも平気だったじゃないかと思うのだが、読み始めてみると、目新しさはさすがにないものの、ある種完璧といっても差し支えないほどの未来社会で、考え込まれているなあと感心させられる。
特に、二重思考と呼ばれる考え方などは、矛盾したことがらが存在しても両方を受け入れるという思考法で、ようするに国の行っている事柄に矛盾をみつけてもそのまま両方を受け入れろという考え方で、こんなものを強制させられたのであればもはやなんでもありで、為す術もない。
全てを受け入れてしまえば幸せなのかも知れないと思ってしまうところが恐ろしいところだろう。
コメント
僕も読んだ気になっていたけど
やっぱり読んではいなかったので
この年になって今更の感があるし
読めるかどうかぜんぜん自信がないのだが
Amazonでブチッとしてしまった。
まあ、きっと積ん読になるのだとは思うけど・・・・
この本は有名ですし、映画化されてもいるうえに後年の他の小説にも影響をあたえているので、だいたいどんな話なのかは知っている人が多いかと思います。
それだったら別に読む必要もないという考え方もあるのですが、本というのは自分で読んではじめてそれがどんなものなのか、たとえ理解できなくっても、知ることができるものだと思うので読みました。でも読んだつもりになって積読のままでもいいと思いますよ。
あえて気の滅入る話を読まなければいけないというわけでもないですし。
紙の書籍のほうを買われたのであればトマス・ピンチョンの解説が付いていますのでそれだけでも読む価値はあるかと思います。