ロボッチイヌ

獅子文六の『七時間半』が復刊された時に読んでみたいなと思いながらそのまま今日まで来てしまっているのだが、その獅子文六の『ロボッチイヌ』が出たときには飛びついてすぐに買ってしまったのは『ロボッチイヌ』という題名からしてロボットの犬の話かと思ってしまったわけでもあるし、短編集だったということもある。
もちろん買う前に書店で手にとって中身を調べたので『ロボッチイヌ』がロボットの犬の話ではないことは買う前に知っていた。ロボットの犬ではなくロボットの女性のことだった。いや正確にいえば今でいうところのラブドールの話だ。
獅子文六は昭和に活躍していた作家なので時代背景も基本的には昭和でSF小説ではないので未来というわけでもなく、とはいってもSFっぽい話もあるのだが、時代背景としては昭和だ。なので、風俗描写は昭和の時代を描いていて、僕としてはどこか懐かしさを感じさせる。
獅子文六はSF作家ではないけれども、SF系の話も書いていて、「ロボッチイヌ」はその傾向の話で、国によって赤線が廃止されたが搾取される娼婦たちはなくなるわけでもなくのことをを憂いた引退した実業家が精巧にできた人形を作ることで代用できるのではないかと考えたことから話は始まる。そうして開発されたロボッチイヌが世に広まるにつれて搾取される女性が少なくなり、世の中は良くなっていくのだが、ロボッチイヌと結婚をしようとした男性が現れたあたりから少しずつおかしなことになっていく。今でもゲームやアニメのキャラクターと結婚、とまではいかなくてもそれに近いことをする人がいることを考えると獅子文六の先進性というか昔も今も男ってのはそういう生き物なのだということでもあるけれども、こんな話があったのかと感心してしまう。
万年筆型の原爆が作られるようになってそれを銀座の道端で怪しい男が売っているという話の「銀座にて」などは掌編ながらもそんなところにオチをもっていくのかという、いろいろな意味でひどい話だったりして、今だとこんな話は書くことなんてできないだろうなあとおもうと同時に、昭和の時代のがさつさというか乱暴さというか昔はよかったというよりも昔はひどかったという感じでもある。
お気に入りは「羅馬の夜空」と「先見明あり」。前者は結婚したい人がいると父親に紹介しようとした青年が、父親に、その娘は駄目だと言われ続ける話。
何故駄目なのかというと、父親はあちらこちらに子種をばらまいていて、ようするに異父兄妹であるという顛末なのだが、好きになった女性がことごとく自分の兄妹であったことを母親に嘆くと、母親は構わず結婚してしまいなさいという。
「あなたはあの人の息子ではないのよ。」
後者は貧乏だけれども次々と子供を作って、余計に貧乏になってしまいながらもそのことをまったく気にしない父親に、長男が、いい加減にして欲しいと注意をする話。
そのけっか、長男は自分は父親の二の舞はふるまいと、去勢をして子供は作らないことにした。しかし時代が変わり、子供のいない夫婦には多額の税金がかけられるようになり、貧乏生活をする羽目になるのである。
どちらもひどい話だ。

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