生まれてなんか来たくはなかった

先週から妻のことで頭がいっぱいです。
木曜日に妻ひとりで精神科に受診したのだが、家に帰ってきてからどうだったのかその内容について聞いてみても要領が得ない。とくに新しく薬を処方してもらったわけでもなく、一ヶ月後に薬を新しくしてみましょうというようなことらしい。頭痛がひどくなったので病院に行ったのだがそれに関してはなにもないようだ。妻がうまく話すことができなかたのだろうか。いや、それ以前に、仕事から帰るときに、今から帰るよと電話を入れたのに電話に出てくれない。嫌な予感がする。どう考えても診察は終わって家に帰っているはずなのに妻は電話に出ない。自殺。という言葉が頭に浮かぶ。妻は早く死にたいと言っているけれども、ものすごい怖がりなので自殺する勇気がない。妻の臆病さかげんは普段はやっかいなのだが、これに関しては怖がりであったことに感謝している。だからそんなことはないだろうと思うのだが、電話に出ようとしない理由が思いつかない。睡眠薬を処方してもらったのでそれで寝てしまっているという可能性も考えられるが、そもそも妻は薬は夜寝る前にしか飲まないので、この時間に飲む可能性もない。不安に苛まれながら急いで家に帰ると、ちょうど妻が外から帰ってきて家に入ろうとしていたところだった。雨の中、かっぱを着てどこに行っていたのだろうか。そんな疑問も浮かんだが、妻の生きている姿を見ただけで十分だった。
妻は定期的な精神科への受診の日が近づくと不安定になっていた。精神科に行くことが怖いのだ。精神科に行ってそのまま入院させられてしまったということが今でもトラウマになって残っている。心の病を取り除くために医療保護入院という形をとって治そうとしたのだが、精神科が怖いという別の恐怖を植え付けてしまった。
そういうわけで、受診が終わると具合が良くなっていたので、今回も受診が終わったので少しはよくなるだろうと、そう次の日の金曜日は思っていた。
が、仕事を終えて帰ってみると妻の様子がおかしい。
良くなったとどころか悪くなっている。しきりと僕の具合を聞いてくる。頭が痛くないかとか、体のしびれはないかとか。そしてもう終わりだからと言う。明日になればわかると。
そして今日はテレビを見なくてもいいでしょとテレビをつけようとしない。見たい番組があるわけでもないので、妻の言うとおりにする。
テレビをつけるとその画面が神経に障るらしい。
頭痛はひどいままなので、精神科ではなく頭痛外来の病院に行ってみようと妻に言う。来週の月曜日は祭日で病院も休みになってしまうので受診するならば土曜日しかない。しかし、妻は頭痛外来には行きたがらない。MRIとかCTの検査を受けるかもしれないことに対して、MRIの検査を受けると頭痛が余計にひどくなるとかMRIはやたらと受けないほうがいいと言いはじめる。それでも頭痛がひどいままというのをそのままにしておくわけにもいかないので説得するのだが、行くのだったら精神科に行くという。
仕方がないし、僕の方も今の妻に対してどのように接すればいいのかわからない。なので今の妻の様子を僕の視点から主治医に説明してそして僕はどう接すれば良いのか聞くために精神科に受診することにする。
夜、妻は今日は金曜日だからゆっくり話をしようよと言う。そんな妻の話に付き合って話をするのだが、あまりうまくいかない。それでもここ最近の妻からすればかなり話をしたのだが、残念ながら僕も妻も楽しい話をすることができない。希望はすでに二人の間にはない。楽しいことをしたいという気持ちは妻にはない。
あまり暗くならない話をしようとしたが、1時くらいになると僕のほうが眠くて仕方なくなり先に眠りに落ちた。
土曜日。
妻に起こされる。時計をみると6時。今日くらい早く起きようよと妻は言うのだが、寝たのは1時で、5時間しか寝ていない。今日は病院に行かなければいけないので頭はスッキリさせておきたく、妻を無視して7時まで寝る。
8時過ぎに病院に電話して、予約なしでの診察をお願いしたところ、今すぐ来てくれたら大丈夫ですと言われる。妻は午後遅くにしてほしいと、隣で言うのだが、診察してもらって他の病院での受診を進められたとき、午前中であれば診察してもらえる可能性がある。午後遅くだと絶対に無理でしかも来週の月曜日は祭日なので最短でも火曜日になってしまう。
今日が二人の最後だから遅い時間にしてという妻の言葉を無視して出かける準備を促す。
出かける間際になにげなくゴミ箱の中を除くと、ちぎられた写真があった。二人で旅行したときの記念写真だった。その瞬間頭の中の理性が吹き飛んでしまった。
数日前にテーブルの上に出してあって、嫌な予感がしていて、そのときに写真を自分のほうの引き出しに入れておけばよかったのだが、後悔してももう遅い。無残にちぎられた写真がゴミ箱の中にある。妻がそうした理由もわかる。妻はもう、自分は一生入院させられ僕とは別の人生を歩む結果になると思い込んでいる。だから残された僕に、自分のことを早く忘れてもらいたいと、だから写真を破ったのだ。
そんな妻の気持ちも胸が張り裂けそうになるほどわかる。悔しさと悲しさといたたまれなさとで無理やり妻を病院へと連れて行く。
病院で待っているうちに怒りもおさまってくる。破ってしまったのはしかたがない。テープで貼り付けてつなぎあわせてみよう、あるいは諦めるか。
かなり待つかと思ったがすぐに受診してくれる。
まずは先生と妻にやり取りをさせ、僕は口を挟まない。
一通り話が終わったあとで先生が僕に聞いてきた。
今度は僕が話す番だ。
睡眠が足りないこと、頭痛がひどいこと、毎週土曜日に一週間分の買い出しをしていたが今週は妻は買う必要がないと言ったこと。妻は料理を作るつもりがない。
自分の食べる分に関しては自分でなんとかできる。しばらくは弁当生活でもいいし、メニューを効率よく組み立てることができれば帰ってから食事を作ることも可能だろう。しかし妻の分はどうする。朝に妻の昼の分を作っておく、もしくは前日の夜に翌日の分を作っておく。そんなことをしておく必要がある。最終的にはそうするべきだがいきなりは難しいので手を抜いた形をとるしかない。そういったことを先生に話す。
今のままだと入院しなければいけなくなるかもしれないと。
今の主治医は入院をさせずに自宅で生活しながら治療をしていくという方針の先生だったのだが、ここで先生は入院することになるけれどもいいかい、と妻に聞く。
ちょっとショックだった。先生の目から見ても入院させたほうがいいのだろうか。
妻はしばらくして、入院してもいいです、という。
じゃあ入院先を紹介しなければいけないなといいだしたので、すかさず僕は、できることならば入院させない方法を取りたいですという。
結果として頭痛にはロキソニン、眠ることに関しては睡眠薬、そしていつもの薬に関しては必ず服用することと先生は妻に約束させて受診は終わる。
家に帰る途中、妻はこのまま買い物に行ってお昼と夕飯を買っておけばというのでそのまま買い物に行き、自分の分はさておき、妻の分としておにぎり三個を買う。
しかし、家に帰ってから妻はおにぎりは食べない。夜に食べるといって、結果としてその夜も食べない。
日が落ちて家の中が暗くなってきても電気をつけようとしない。かわりにろうそくを持ってきて、きょうはこの明かりで過ごしましょうというのだが、さすがにろうそくのあかりだけで過ごすのは無茶だ。
先日の大阪の台風で場所によっては4日くらい停電したところもあったということを知って、停電に備えておいたほうがいいとLEDランタンを買っておいたのだが、まさかこんな形で使うことになるとは思わなかった。単3乾電池4本で300ルーメンの明るさを8時間維持してくれる。光量を落とせばさらに伸びる。
停電でもないのに、ランタンの明かりの中、会話することもなく静かに時間が過ぎていく。
僕としては早く妻に薬を飲んでもらいたいのだが、妻は寝る前にしか飲もうとしないので、時間の経過がものすごく遅く感じる。
10時半になってようやく妻が寝ることに同意してくれたので薬を飲もうと言うと、妻はさっき飲んだという。もちろん嘘だ。
怒りたい気持ちを抑えて飲んでないでしょと、言い、薬を飲ませようと連れて行くのだが、妻は薬を手の平にとりだし、台所の水道まで来てコップに水を入れ、そこで止まってしまう。
「いいから飲みなさい」
というのだが飲もうせず、薬を指でこね回しているだけだ。
「今日はとりあえず飲みなさい」
もっと他に優しい言葉のかけ方があるのかもしれないが、僕の方も必死である。
「睡眠薬は怖いから止めていい」
と妻は言う。
睡眠薬だったら仕方がない。なので「いいよ」と答えるのだが、それでも飲もうとしない。せっかくコップに入れた水を、まるで何かを流してしまうかのように流しにこぼすことをする。暗がりの中なのでよくわからないのだが、ひょっとしたら飲まなければいけない二錠の薬のうち一錠を捨てたのではないだろうか。そしてごまかすために水を流してその形跡を消し去る。
まあ、一錠だけでも飲んでくれたようなので今日のところは問いたださない。ひょっとしたら僕の思い込みすぎかもしれない。
妻の寝息が聞こえ始める。
ああ、ようやく妻は眠ってくれたようだ。
日曜日。
目覚ましが鳴り慌てて消したが妻は起きなかった。ぐっすりと寝ているのでそのままにしておく。
9時過ぎに妻が起だして僕を起こす。
着替えて居間のソファーに座っていると隣の妻は寝息を立て始める。とにかく眠いようだ。睡眠が大事なので安心するのだが、雨戸は開けようとしない。開けようとすると怒るのでしかたなく締めたまま。部屋の中は玄関への扉は開けたままなので真っ暗ではないが少し薄暗い。
昼になって、お昼ご飯はどうしようかと妻に聞くけれどもいらないと答える。少し心配になる。とりあえず僕も買い置きのパンを食べて昼はそれですます。しばらくして夕食と妻の食事のことを考える。ヨーグルトかゼリーあるいはカロリーメイト、レトルトパックのおかゆだったら食べてくれるかもしれない。
いや、それ以前に、妻の妄想は相変わらずで、電気をつけないことや、洗濯物を外に干そうとしないこと、食べようとしないことはおそらくだが、幻聴がそうさせているらしい。贅沢なことをしているとひどい目にあわせる。そんな声が聞こえているのではないかと思う。雨戸も開けようとしないし、暑くても冷房も扇風機も使おうとしない。うちわで仰ぐだけだ。暑さの厳しかった7月や8月でなかったことがありがたい。ほっといたら熱中症で倒れていただろう。
それが妻だけに起こることならばまだしも一緒にいる僕も妻が言うターゲットにされているらしい。だから贅沢なことをしていると僕も狙われて統合失調症にさせられてしまうと。
そんなわけだから風呂に入ろうとしてもさっと洗ってすぐに出てほしいという。妻は金曜日から風呂に入ろうとしないし、着替えもしようとしない。
買い物にでかけて妻が食べてくれそうなものを買い込む。ついでに自分の分としてカット野菜を買う。卵が残っているので野菜炒めを作って食べるつもりだ。
ランタンの明かりの中で一人、夕食を食べる。妻は何も食べようとしないが、ゼリー飲料を指したしたところ、一つ手にとってくれたので飲んでくれるかもしれない。
一日中寝ているので、そんなにカロリーは消費していないとはいえ、そろそろまずいと感じる。
風呂に入っていると妻が風呂の戸を開けて、今日はもう薬は飲んだからと言う。はっきり言って信用できない。薬の量をみればわかることなので、あとで確認するが、どうしてそんなことをするのだろう。気持ちはわからないこともないけれど。
薬の量を見ると一錠分だけ減っていた。二錠は飲んでくれなかったようだが、仕方がない。
月曜日。
祭日だが仕事である。
仕事に出かけたとしても妻のことが心配で仕事など手に付かないことはわかっているが、どうしようもない。
しかし妻が、今日は休んでと言う。
その言葉に折れて、急な話だが仕事は休むことにする。同時に会社に連絡を入れて妻の状態を話す。もはや妻を入院させる方向で進むしかない。
生ゴミを出さなければいけないのでゴミ出しに行きながら妻の実家に電話をする。義弟が出たので、妻の状況を話し、入院させなければいけないことを話す。義母に変わるといったので、まずは義弟の方に一通り話させてくださいといい、入院させたくはないけれども、今のままだと食事も取らないのでどうしようもないと話して、進展があったら連絡しますといって電話を切ったが、妻の実家からはそれ以降何も連絡はない。妻宛にも電話はない。何かあったら連絡するといったので、何も連絡がないのなら大丈夫なのだろうと思っているのだろうか。自分の感覚だと信じられないし、連絡がなかったら一度くらいは連絡するだろうと思うのだが、しかたがない。そういう人たちなのだと思うことにする。怒ってもしょうがないし、精神科に否定的な考えの人なので下手に妻に連絡してきて治療の妨げになるようなことを言われるくらいならば、何も連絡がないほうがましである。しかし、せめて優しい言葉の一つでも母親の口から妻にかけてあげてほしかった。妻のためにも。
雨戸を締めたまま、音楽もなにも流れない。聞こえてくるのは鳥の声や外を歩く人の話し声。声がするたびに妻は玄関に行き、窓を開けて外を見る。
誰かが来ると思っているらしい。その誰がなんの目的を持ってくるのかはわからないが、病院から誰かがやってくるらしい。そして自分を入院させに来るのだと。いろいろな妻の言動を組み合わせていくとそういう結論に達する。しかし、それがわかったところで何ができるというものでもない。
ものすごくゆっくりと時間が過ぎていくが昼になる。お昼はどうすると聞くが妻は食べないという。じゃあ自分の分だけ買ってくるというと、食べなくってもいいじゃないという。流石にそれは無理だというと冷凍庫にある冷凍うどんを鍋に入れ湯がき出す。湯がいたうどんにうどん用のタレをかけて、これを食べればいいじゃないというので、それほど食欲があるわけでもないのでうどんを食べてお昼は済ますことにするが、夕飯を考えないといけない。妻は冷蔵庫の余り物を食べればいいでしょという。どうやら外に出ると僕が狙われてしまうと思っているようだ。
とはいえども、家の中にいるとなにもすることができないので不安になってくる。ひょっとしたら病院はやっているのかもしれないと思い電話をかけたくなる。市役所がこころの電話相談をしているので、そこに電話してみたくなる。あるいは精神病の緊急相談センターに問い合わせをしたくなる。
と同時に、妻を入院させるとなると入院おための支度も考えておかないといけない。9年前に入院させたときは、どうやって入院させるかまでしか考えておらず、入院させたあと、病院で入院で着替え等必要なものを用意してきてくださいと言われて途方に暮れてしまった。その時はもう時間も夕方近くでアパートと病院の往復を考えると準備する時間的な余裕もない。当時はまだ母が健在だったので母に助けを求め、妻のタンスを手当たり次第に開けてとりあえず用意はしたのだが、その母も今は亡くなっていない。
今度は自分ひとりで用意しなければいけない。まずはバッグだが、これが無い。しばらく前から妻は自分の持ち物を断舎離すると言って捨てまくっていた。断捨離と言うと聞こえはいいが、自分がいなくあったあとのための身辺整理。僕に苦労をかけさせないための整理だ。そのときにバッグのたぐいは無くなってしまった。
もちろん買えばいい。箸とスプーンも必要だ。スリッパも必要だが場合によっては靴でも大丈夫でこれは緊急でもない。タオルは多分大丈夫だ。歯磨きや基礎化粧品はある場所がわかっているので大丈夫だし歯磨きはコンビニで買えばいい。シャンプーとリンスもそうだ。問題は下着と生理用品である。妻は下着にうるさく、といってもお腹周りが窮屈だとダメというレベルのことだが、こればっかりは履いてみないとわからない。とりあえず買って、履いてダメだったということが何度かあったが、それ以前に妻は下着の枚数が少ない。二枚しか用意していないこともある。こういう場合男はダメだ。大型スーパーの女性用下着売り場で下着を探すというのは勇気が出ない。生理用品もそうである。昔は個人経営の薬局があったのでそういう小さな薬局に行って、店員さんに言えば買えるし他の人の視線も気にしないで済むが最近は個人経営の薬局は無い。9年前は弟の奥さんにお願いして買ってもらったが、いまはネット通販がある。届くまでに時間はかかる場合もあるが、下着もどちらもネット通販でなんとかなりそうだ。
そう考えるとだいぶ楽になる。妻の反対の声を押し切って買い物に行ってくるといい外へ出る。
まず病院に電話してみるが案の定、本日の診察は終わりましたという声。続いてこころの電話相談に電話するが、こちらも本日はお休みですという声。考えてみれば役所は祝日は休みだ。
最後の、緊急相談センターに電話をしてみる。こちらは24時間365日大丈夫と書かれているが、呼び出し音が続いて、そして五分後におかけくださいというメッセージ。ひょっとしたらサイトの情報が間違っていてこちらも祝日はダメなのかと思ってしまうが、少し待ってリダイヤルをして応答があった。
妻が統合失調症で土曜日からほとんど食べていない、病院は今日は休みなので連絡は取れない。こういう場合どうしたらいいのか相談できますかと聞いたところ、この電話は緊急を要する精神病の病院を紹介するものなのでそういう相談にはお答えできないと言われてしまう。食事を取らないというレベルは対象外のようだ。
しかし、ゼリー飲料は少しは飲んでくれて水分も補給しているのであれば明日病院に電話して相談に乗ってもらうのが一番いいのではと答えてもらう。自分のほうが慌てすぎたのかもしれない。
妻の入院のためのものは買い込み、車の後ろに隠して置いておく。その他、妻のためにゼリーとお湯を入れて飲む味噌汁、そして水分補給ならばポカリスエットのほうがカロリーも摂取できるのでいいだろうとポカリスエットを買う。ついでに自分の夕食としてコロッケも一つ。キャベツを刻んで、冷蔵庫の消費期限間近のものを集めれば一食分くらいにはなるだろう。
家に戻って、米を炊き、キャベツを切っておこうとしたところで、妻に止められる。
「キャベツなんか切らないで」
どうしてなのか理由はわからない。知ろうとしても無意味だ。おそらく刃物を持つのがダメなのかもしれない。統合失調症で刃物を持つことができなくなってしまったという人の話を聞いたことがある。
結局キャベツはだめになったが、そうなると調理するということが困難になる。この先、自分の食べるものに関しては、もちろん妻に食欲が湧いてきてくれれば妻の分もだが、できる限り自分で料理するつもりでいる。しかし今の状態ではそれも無理だ。
ランタンの明かりだけのくらい居間にいることが耐えられなくなり、仕事をしなければいけないと妻に行って自室に行く。ここならば電気をつけることができる。
明日になれば病院に電話して、今の状態を進展できると思いながらもいま、この瞬間に何もできないでいると不安でたまらなくなってくる。もちろん電話してもすぐに入院先が見つかるわけでもないことはわかっているし、電話したからなにか解決するというわけでもないこともわかっている。少しだけ今の苦しい状況を変化させるだけに過ぎない。
11時過ぎに妻に、薬を飲むように促す。昨日は一錠しか飲んでくれなかったので今日も一錠だけでいいからと言うのだが、半分だけと言い続ける。押し問答を繰り替えすが妻は半分、半分とまるで子供のように言い続けて、薬を半分に割り、口に入れる。残りの半分は流し場に捨ててしまう。半分だけ飲んでくれただけでも仕方がないかと諦める。
火曜日。
病院が開く時間を待って診察してもらうために電話をかけたのだが、主治医が金曜日まで不在で受診できないという返答。あまりにも予想外の答えだったので、理解ができない。電話の向こうでは、金曜日の朝いちで受診できるように予約しておきますねという声が聞こえて、はいと答えるのだが、何が起こっているのか理解できない。
妻が土曜日から食事をほとんど取っていないのですがどうしたらいいのですかと、かろうじて言うことができた。
少し待ってくださいと電話の向こうで返答が聞こえた。
どうすればいいのだろう、どうすればいいのだろう、一生懸命考える。
「ご主人さんの判断で内科で見てもらってくださいとしかお答えできないです」
僕の方も「そうですか」としか答えようがない。
「受診したとしてもこちらではそういう事に関する治療をすることができないので、やはり内科に行ってもらうしかありません」と申し訳なさそうに言われる。
内科のような治療施設の無い精神科なので言われたとおりなのだ。こんなことだったら入院施設のある大きな精神科で通院していればよかったと後悔しても遅い。
このままどこかの内科に行くとしても仕事を休まなければいけなくなる可能性がある。運の悪いことに明日絶対に行わなければいけない作業があり、後輩が主導で行う事になっているが、事前の予行練習をしておく必要があり、スケジュール的にその予行は今日やることになっている。本当はもう少し前に行っていればよかったのだがまだ若い後輩には無理な部分があって今日にずれ込んでしまっていた。予行練習がうまくいけば、当日も最悪僕がいなくてもうまく回る。今日が無理ならば今日に時点でスケジュールを伸ばしてもらう交渉をしなければならない。どう考えても今日は仕事に出かける必要がある。
出かける間際に妻に、今日は少しだけでもいいからおかゆでも、ゼリー飲料でも食べてと言ったところ、食べてみると言ってくれた。しかし信用はできない。昨日はゼリー飲料を少し飲んでくれていて、水分も少しながらも取ってくれている。今も手元にゼリー飲料がある。
どこの内科に行ったほうがいいかも考えなければいけない。慌てて行動するよりは今日は落ち着いて今後のことを考えたほうがいいのかもしれない。
駐車場に着いて、役所のこころの電話相談に電話をかけて、今の状況を説明して、どの内科が良いかを教えてもらうことにする。通っている病院に問い合わせて内科を聞いてみるのがいいのではと言われると同時に、妥当だと思われる病院も教えてもらう。
お礼を言って電話を切ったあと、再び妻の病院に電話をかけて、どの内科が良いかを聞いてみるが、こちらでは特定の病院をおすすめすることができないと言われる。
まあ、逆の立場だったらうかつなことは言えないからそういう返答しかできないというのも理解できる。
昼間に一度、妻にメールをする。なにか食べることができましたかと。
携帯電話も電源を切ってあるかもしれないので返事は期待しない。
夕方付近になって、妻からのメールを期待してしまう。妻いわく、自分の日記だという妻からの今日あったことを簡単に記したメールだ。
しかし、今日は届かない。多分明日も。その次の日も。先週で妻の日記は終わったのだ。
定時になりすぐさま帰宅をする。
家にある消費期限ギリギリのものを集めて自炊することも考えたが、妻のためにペットボトルのお茶を買っていこうと思ったのでスーパーに寄ってついでに自分の夕飯も買う。
妻は生きてくれているだろうか。家に近づいていくにつれてそんな不安感が高まってくる。家が見えた。
が明かりはついていない。暗くなっても明かりをつけようとしないのでついていなくて当然なのだが不安は消えない。
玄関の前の駐車場に車を止めていると、扉が開いて妻の姿が見えた。
ホッと安心する。力が抜けそうになる。
家の中は薄暗い。台所に置いておいたレトルトパックのおかゆはそのままで、ああ、結局食べてくれなかったのかとがっかりするが、自分の分の夕飯をテーブルの上に置きながら「おかゆは食べなかったの」と聞くと、いまから食べると言い、鍋に水を入れてお湯を沸かし始めてくれた。その間に僕は風呂に入る。
風呂から出るとテーブルの上に茶碗がおいてあり、中にはおかゆが入っている。自分の夕飯をレンジで温めていると、妻の食事の音が聞こえる。食べてくれた。
さらには、台所に来て、おかゆの隣においておいたカロリーメイトも持っていく。袋を開けて食べ始める。
ああ、そっちも食べてくれるか。
嬉しい気持ちになりながら、温まった夕飯を持ってテーブルに行くと、僕の座る場所の前におかゆの入った茶碗が置かれていた。これは妻が食べるためではなく僕が食べるために用意してくれたのか?
恐る恐る「食べないの」と聞くと、もういいからあとは食べてと答える。中身はそれほど減っていない。しかしカロリーメイトの方は少し口にしている。まあいいか。
「もう少しぐらい食べなよ」と促すと、おかゆの上澄みの部分をスプーンですくって飲み始める。それでもスプーン3杯くらい。
カロリーメイトも結構食べたと思ったが見てみると半分だけだ。無理させてもしかたがない。
今日は早めに薬を飲ませておこうと、促すが、まだ早いからと拒否されてしまうので、寝る時間まで待ったのだが、そのときには遅かった。食事をしたせいか、それともそれ以外の理由なのかはわからないが、妻が頭がくらくらするから今日は飲まないと言いはじめる。どう説得しても無理だったの睡眠さえ取ってくれれば今日は我慢するかと諦める。
どっちにしろ明日は内科につれていくので、つらい思いをさせるよりは今日はぐっすり眠らせてあげたほうがいい。内科に連れて行くことも本当だったら今夜のうちに話して説得させたほうが、明日の朝いきなり言って連れて行くよりはショックが少ないとも思うのだが、今夜説得できるかもわからないし、説得できたとしても明日になれば気が変わってしまう可能性もある。どちらにしても内科につれていくことを話して、今夜不安な思いをさせるぐらいならば、ショックは大きいだろうけれども明日の朝のほうがいいだろう。
紹介状もなしに行くと5000円も余分にお金を取られるけれども内科も精神科もある総合病院につれていくつもりでいたのだが、それは自分本位の考えだったことに気がつく。近所の個人経営の内科の場合、総合病院に行ったほうがいいと言われて二度手間になってしまう可能性があることを考えると、一箇所で解決する総合病院に行ったほうが妻の負担も少ないと考えた結果だったが、そもそも妻は自分の姿を見られるのがストレスである。総合病院だと沢山の科があるのでそれだけ大勢の人のいる場所にいかなければならない。それだったら個人の小さな内科であればそんなに大勢の人の眼にさらされることもない。うまくいけばその病院だけで解決する。
自分本位ではなく妻の視点でかんがえればそちらのほうがいいのかもしれない。
水曜日。
朝、着替えていると妻が、今日は会社を休んでほしいと言ってきた。
ちょっと悩むけれども、内科に行く予定だ。妻に内科に行こうと言う。
「行かない」
「内科に行かないといけない」
「嫌だ」
「何も食べないから行かないといけない」
「じゃあ、食べるから」
そう言うが、信用できない。信じたいけれども、妻の命にかかわることで、そもそも妻が正常に考えることができているのかも怪しい。なにしろ土曜日からほとんど何も食べていないのだ。そんな状態で自分の体が大丈夫かどうかなんて判断できるわけがない。
「食べてもダメ、行く」
「明日だったら行くから。今日はご飯を食べるから」
一瞬、心を揺り動かされるけれども、心を鬼にする。
「悪いけど信用できない。だから今日、今から内科に行く」
『絶対に嫌」
「だったら今から救急車を呼ぶ」
「ちょっとまって」
そんなことを繰り返す。何度も何度も。
「どうせ入院させられるんだから、何も食べずにいてこのまま衰弱したかった」
「どうして人間は生まれてくるの? こんなつらい思いをするなら生まれてなんか来たくはなかった」と泣き出してしまった。
QOLという考えがある。病気を完全に治すのではなく、治らないのであれば治らないなりに、あるいは治すためにものすごい苦痛を伴うのであればどうすることが当人の生きがい、あるいは満足を得ることができるのかということを主眼において治療方法を考えるというものなのだが、妻の場合はおそらく完全に良くなるということは無いのだろうと思っている。この先もなんどもなんども再発を繰り返すだろう。再発を繰り返さないためには僕が常に薬の管理をしていかなければならないのだが、そうすると妻は僕に管理されていると感じてしまう。僕と一緒にいることがストレスになる。だったら別れてしまったほうがいいのではないかと思うこともある。別れて妻は実家で生活をしたほうがいいのではないかと。しかし、妻の実家は精神科の治療というものを否定しているので実家に戻らせれば妻は確実に再発して悪化させる。そして同しようもないレベルになるまで無意味なことを繰り返すだろう。そしてそういう状態になってようやく僕のところに泣きついてくるはずだ。しかし、そうなったときに僕ができることなど殆どない。入院させるしかないし、そこまで悪化させた状態では良くなる可能性もない。そう思うと別れるという手段はない。
となるとQOLを考えると、どうすればいいのだろうと思ってしまう。どうやっても妻の苦しみを取り除いてあげることができないのであれば「一緒に死のうか」と言いたくなる。妻の苦しみも消える。
が、今はまだもう少しだけやれることがある。
どうにかこうにかして妻を玄関まで連れていき、でもなかなか玄関から外には出ようとしなかったが、それでも少しずつ外へと連れ出し、車に乗せる。
そして病院へ。
「私のような人と一緒だと恥ずかしいでしょ」
そんなことを妻がいう。
そんなことなどあるわけがない。
「恥ずかしいなんて思ったことなんて一度もないよ」
病院についたらあとは妻はおとなしくなった。朝イチで病院に入ろうとしたが結果として診察開始時間を20分ほど過ぎており、待合室には8人ほど人がいた。
問診票を書くのだが、現在かかっている病院や病気を書く欄があったらどうしようかと思っていたがそういう欄はなかった。
以前に妻が、胃痛で内科に受診したときに、問診票に統合失調症で治療中ということを書いたら、主治医にまず相談してみてくださいと言われたことがあった。主治医に相談して内科に来たのに、あまりにも無神経な回答だ。もちろんすべての病院がそうだとは思っていない。しかし、正直に書いてつらい思いをするぐらいならば黙っていたほうがいい。
しかし、今日行った病院は僕も何度かお世話になっている病院で、先生は頼りなさそうにみえるけれども結構的確で頼りになる、看護師さんも親切で血液を採ったりする僅かな時間の間にこちらの話をしっかりと聞いてくれて優しくしてくれる。事務的じゃあない。
で、土曜日から殆ど食べていないということで予想通り点滴を売ってもらうことになった。
今日は妻を生き延びさせることができたと思う。でも点滴の効果が明日も続くわけではない。衰弱したいという妻に食べることを強制させることもできない。どうにかして食べてもらうしかない。明日はかろうじて大丈夫かもしれないが、金曜日に精神科に受診して入院という形に進んだとしてもその日に入院できるとは考えにくい。早くても翌週だろう。ではその時までどうやって生き延びさせればいいのだろう。また点滴を打つのか。
いや、そもそも入院させたからといって食べてくれるわけではない。入院させても食べてくれなかったら点滴を打つしかないだろう。そんなふうに先のことを考えると、家族が諦めてはいけないのだが、妻の残りの短い人生をどうすれば安らかにさせてあげることができるのだろうか、そんなことを考えてしまう。

コメント

  1. sway より:

    下着や生理用品なら私が買ってきますよ。妻が入院したときは、イオンの婦人下着売場に行って、「妻が入院することになってどんな下着を揃えればいいのか分からない」と言って、売場の女性にいろいろ教えてもらいました。
    その時買ったパンツは、今でも妻が履いてます。もう5年も前の話です。
    入院させましょう。奥さんもTakemanさんもギリギリのところまできてるんじやないでしょうか。
    食事も投薬も病院のスタッフに任せましょう。薬については、当人が飲むまでスタッフが見ています(私の妻談)。

  2. Takeman より:

    swayさん、ありがとうございます。
    昨日妻を入院させてきたところです。
    着替えの支度の方はなんとかなりました。妻の場合下着は、お腹周りがきつすぎてもいけないし、ゆるすぎてもいけないと、条件が厳しく、なかなか妻が期待するものが見つからないということもあって、厄介だったんですが、タンスに何枚かあったので足りそうです。
    今度は自分の生活サイクルを平時にもどさなければいけませんが、ゆっくりとやっていきます。

  3. sway より:

    ああ、そうでしたか、、、大変でした。。。ゆっくりと休んでください。

  4. 天水窯 より:

    たいへんでしたね 家にいるときの薬の上げ方はスプーンに入れて口の中に入れてあげたらどうでしょう お茶 薬 お茶という感じで。その後口を開けてもらって下べらの下に隠れてないか確認も大事だと思います お茶の湯呑にストローを入れてあげると飲みやすいと思います お茶にとろみをつけるとのみやすくなると思います

  5. Takeman より:

    天水窯さん、コメントありがとうございます。
    妻は子供扱いされると怒るので、そういった方法はなかなか難しいですね。
    今は入院中で、ひとまずは薬の重要性も理解してもらえたようなので、退院してからも薬は飲んでくれるだろうと思っています。あくまで希望に過ぎないのですが。

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