『ありきたりの狂気の物語』チャールズ・ブコウスキー

もらったものを出してセロファンをはがした。チーズに似ていた。チーズのようなにおいがした。一口かじってみた。チーズの味がした。

この本に収められた短編において主人公が酔いどれか競馬をやっているか詩人だった場合、殆どにおいてその主人公の名前はブコウスキーである。
そして何度か警察に捕まり、見知らぬ女性と寝る。起承転結の物語らしい物語はどこにもない。作者が体験したことをそのまま書き連ねたといっても納得してしまうこともできるのだが、彼の名が作者と同じ名前だからといってこの本に収められた物語が実際に体験した、あるいは作者が行動した事柄をそのまま文章にしたと信じてしまうほど純真ではないし、物語は物語で完全なフィクションであると考えるほど無知でもない。
僕はブコウスキーのファンでもなく彼の良き読者でもないので作者が郵便局に努めながら100冊近い本を出したということぐらいしか知らない。あとは『ブコウスキーの酔いどれ紀行』を読んだくらいかな。
『パルプ』は新潮文庫版とちくま文庫版の両方を買っておきながらもどちらも未読だ。まったく読む気がないわけではなくいずれ読むつもりなんだが、先にこちらを読んでしまった。
ブコウスキーから飲む・打つ・買うを減らして代わりに暴力で埋めると平山夢明になるのだろうか。そんなわけで少し前に平山夢明の本を二冊続けざまに読んだのでどこか既視感がある。
冒頭の引用は「悪の町」の一節。
ホテルの従業員が主人公に対して、あなたの魂はどこかへ行ってしまったので捕まえておきましたといって渡したセロファン包の中身を主人公が開けた場面だ。
なんだか凄いと思う。
凄いといえば「狂った生きもの」も凄い。終盤に来ていきなりサンフランシスコの水爆が落ちてきて終わるのだ。もちろんこの世界においてサンフランシスコの水爆が落ちたことなどない。それでいて全体の辻褄はあっているし、納得してしまう。

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