ジョン・ヴァーリイという作家がいる。
新作が翻訳されることもなくなって、特に<ガイア三部作>なんて三部作全部翻訳されたら読もうと思っていたら二作目までしか翻訳されなくって、今でも待ち続けているのだけれども多分永遠に待ち続けることになるだろう。だったら英語を勉強して原著で読めということになるかもしれないが。
もっとも新作が翻訳されることもないといっても、もともと寡作な作家なのでそれほど作品数はない。なので全部翻訳してくれてもいいじゃないかという気もする。
で、新作は翻訳されないけれども短編は復刊しまくって数年前にかなりの短編が復刊した。
ヴァーリイといえば<八世界>で、このシリーズに属する短編はすべて復刊して、全部読んだことがあったけれども、出た以上は買いなおしてしまった。そしてすべて既読だったのでそのまま積読となってしまったわけだが、ふとしたきっかけで「逆行の夏」を読み返したくなり、これだけ読み返してみた。
この話を読んだのは30年以上も昔のことなので水星が舞台で、水銀の溜まった洞窟が登場するというのと、水星の公転軌道と自転の問題で逆行の夏という現象が起こるということしか覚えていなかった。
で読み始めて最初の一行。
クローンの姉が月から来るというその日、ぼくは一時間早く宇宙港に着いていた。
という文章でノックアウトされてしまった。
クローンというのは理解できる。しかしその後の「姉」というのは頭の中でクエスチョンマークが浮かんでしまう。姉であるのであればそっちのほうが先に生まれたわけで、だったらクローンというのはぼくのほうであり、姉はクローンではなくオリジナルではないのだろうか。でもまあそれも受け入れよう。問題は「ぼく」だ。ぼくである以上男のはずで、姉がクローンであるのならば、ぼくはなぜ男なのかということだ。ひょっとしたらぼくも女性で自分のことをぼくと呼んでいるだけなのだろうか。
ヴァーリイはそんな読者の疑問などにはいちいち答えることなどしない。ヴァーリイの描く世界ではそれが当たり前のことであってわざわざ説明しなければいけないことではないのだ。そのスタンスはその後のサイバーパンクにもつながる。
疑問は疑問のままだけれどもそれで物語の進行の妨げになるのかといえばそれほどさまたげになるわけでもなく、そのあたりのさじ加減というのはうまいとおもう。
頭上に上った太陽が逆戻りするという逆行の夏にレトログレード・サマーというルビが振ってある。旧版もそうだったのかは記憶にないが、レトログレードだったのかとニヤリとしてしまう。レトログレード、あるいはレトログレイド、レトログラードという呼び方の時計がある。
これも円ではなく扇形の文字盤上で針が左から右へと動いていき右端に到達すると逆行して左端に移動するという時計だ。実物はかなり高価なのでパソコン上で動くディスクトップアプリケーションを作ってしまったほど好きな時計だ。
それはさておき、この「逆行の夏」という物語はそういった水星独特の現象をうまいこと使いながらもそこで描かれる物語は個人的な問題というか舞台を地球にして、時代も現代におきかえてしまっても描くことのできそうな普遍的な物語で、だからそれ以外の部分が特異な設定だったとしてもすんなりと受け入れることができて、もちろん特異な設定だからこそ成り立つ真相でもあって、SFっていいなあという気分に浸れる。
終盤に解き明かされる真相はすっかり忘れていたので今回も驚くことができてよかった。
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