子供のいない僕は老後はひとりぼっちになる可能性は高くて、妻に先立たれた場合は孤独死は必死だ。
と書くと悲壮感満載のような感じになるかもしれないけれども、ひとりぼっちが悲壮感満載なのかというとそうでもない。少なくとも僕の場合はひとりで生活することは悲しいことだとは思っていない。さらに孤独死も別にそれでも構わないと思ってさえいる。そもそも誰かに看取られて死にたいのかといえばそんなつもりはないし、むしろ看取られて死にたくはないと思うくらいだ。孤独死よりも死ぬ間際に自分が死を受け入れることができるかどうかのほうが問題である。
レイ・ブラッドベリの小説に『死ぬときはひとりぼっち』という題名の小説がある。死ぬ時はひとりぼっちで死ぬしかないのだ。
とはいえども、歳を取れば体力も知力も判断力も衰えていく。そんな状況を迎えるに対して無策というのもなんだかなあと思うわけで、そんなときにこの本を見かけたので読んでみた。
この本の中では、ひとりぼっちになることで何が問題になるのかということが書かれている。一番の問題は孤独であることではなく、孤独であるために助けがほしいときに助けてくれる人がいないということだ。
しかし、孤独でなかったとしても孤独と同じ状況になる場合もある。
例えば、子供がいたとしても、その子供が助けてくれるかといえば必ずしもそうでもない。経済的な困難に対して子供のほうに余力があればともかく、余力がない場合は助力は無理である。近くに住んでいるならばともかく離れた場所に住んでいる場合はなにかあってもすぐに駆けつけてくれることは難しい。むしろ近所付き合いをして近所の人と仲良くしていたほうがもしものときにはなんとかなったりする。
一番の問題は保証人の問題で、歳をとると保証人になってくれる人が少なくなるということだ。これに関しては子供がいたほうがいいのだけれども、いないのだから仕方がない。
世の中が少しづつ変わっていってというか変える努力をして、保証人制度を少なくしていくしかないのだろう。
保証人の問題で一番困りそうなのは入院しなければいけないときだろうけれども、病院によって異なるし、今、それを悩んでもしかたがない。その時に悩めばいいだろう。
そんなふうに考えながら読んでいくと、別に困ることはなさそうだ。そんな気にもなってくる。
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