映画の評論集ではなく、映画評論の入門である。
かといって映画の評論を始めたいと思って読んだわけではない。
映画評論・入門というタイトルだから映画の評論に関する方法論が書かれているのかといえばその通りでもあるが、日本の映画評論史として読むことができる部分もあり、映画が好きな人間であれば楽しめる本になっている。
その一方で、僕自身もブログで本に関する感想を書いていて、今はほとんど休眠中になってしまった本家のブログサイトアルファ・ラルファ大通りの脇道は特に本中心のブログで、批評サイトとして登録されていたりすることもあるので、批評という部分に関しては無自覚でいるわけにもいかない。
本の感想サイトというふうに自分では名乗っているけれども、それはある種の責任逃れのような部分もあって、とはいえども、批評とか評論といったレベルの内容になっているのかといえば必ずしもそうでもなく、そのあたりが中途半端といえば中途半端なのだけれども、その点も自覚している。
かつて本家のサイトで『しずおかSF 異次元への扉』という本について書いたことがある。この本自体が評論集なので評論集に対する感想なのだが、実際に書いた内容からすれば批評に近い。
結果、この本の編者の一人からこんなtweetがされた。
「アルファ・ラルファ大通りの脇道」で、拙著(共著)『しずおかSF 異次元への扉』が取り上げられていて驚く(http://stillblue.ti-da.net/e4067741.html )。批判的な書評ではあるのだが、ある意味で、現在のSFと評論の問題点をクリアーに指摘しているという点で、なかなか考えさせられる。
岡和田晃 @orionaveugle 2012年10月4日
まあ、これはこれでそのまま何もなく終わったのだが、批評、もしくは評論というのは対象となるものを作った人に対してかなり踏み込んだところまで行かなければいけないところがあって、書くのに神経を使う。
この本は映画の評論に関して書いたものであって、映画の評論集ではない。
様々な映画評論を取り上げつつ、映画評論というものがどのように評論されてきたのかという部分に焦点を当てる。
別に評論というものが存在しなくても困ることはないけれども、その一方で評論が生まれないジャンルというものに面白さがあるのかといえば、あまりない気もする。面白いからこそそこから評論が生まれるのだろうと思う。
この本を読んだからといって映画評論家になることができるかといえば必ずしもそんなことはないのだが、評論というものがどういうものであるべきなのかというあるべき一つの形というものを見せてくれる。
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