『破壊された男』アルフレッド・ベスター

僕は東京創元社版の方で読んだので、『破壊された男』よりも『分解された男』のほうがしっくりくる。
かというと、そうでもなく初めてこの本の存在を知った時、『分解された男』ではなく『破壊された男』として知ったので、実は『分解された男』という題名には少し違和感を感じていた。
ベスターといえば『虎よ、虎よ』のほうが、題名としてのかっこよさもあって人気のようだが、高校生の頃に『分解された男』と『虎よ、虎よ』を読んで、どちらが気に入ったのかと言えば個人的には『分解された男』のほうだった。多分、物語として『虎よ、虎よ』よりも整っていたせいもある。
しかしその後、『コンピュータ・コネクション』や『ゴーレム100』といった、物語としての整合性よりも無茶苦茶なパワーでもって推し進める、決して傑作とはいえないけれども、勢いで突き抜けた作品を読んでいくうちに、ベスターの面白さは物語としての部分ではなく、文字通りワイドスクリーン・バロックの部分だよなあと思うようになった。
というわけで今回、伊藤典夫訳による『破壊された男』を読んでみたわけだが、初読時に感じた面白さというのは感じられなくって、逆に物足りなさを感じてしまった。
あと、一度耳にしたら頭にこびりついて離れなくなってしまうあの歌も、伊藤典夫訳だともの足りなく感じてしまったせいも多分にある。やはり、

八だよ、七だよ、六だよ、五
四だよ、三だよ、二だよ、一
《もっと引っ張る、》いわくテンソル
《もっと引っ張る、》いわくテンソル
緊張、懸念、不和が来た

の「《もっと引っ張る、》いわくテンソル」の部分の意味不明さとインパクトと大きさってのは偉大だよなあ。
しかし、頭の中を覗くことのできるエスパーに対抗する手段として、頭のなかにこびりついて離れない電波ソングを使うって発想は凄いと思う。

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