『蜂工場』イアン・バンクス

イアン・バンクスの『蜂工場』が突然復刊した。
僕はイアン・バンクスの良い読者ではなかったので、正直言うとイアン・バンクスの小説を読むのはこれが初めてだ。『フィアサム・エンジン』と『ゲーム・プレイヤー』は積読にしたままだ。
国書刊行会から『ブリッジ』が出るという予定もあったけれども、これもいつのまにか立ち消えになってしまったようで、作者も故人となってしまっているし、日本では一部では有名かもしれないけれどもあまり評判にならなかった作家なので、もう翻訳されることもないのだろうと思っていた。
そもそもイアン・バンクスがSF作家という認識を持ったのは『フィアサム・エンジン』が翻訳されたときだったのでそれ以前はSF作家とは思ってもいなかったので『蜂工場』も素通りしてしまっていた。
後に『蜂工場』はラストが衝撃的ということを耳にしていつか読んでみたいと思っていたので今回の復刊は僥倖だった。といっても買ったら買ったでまた積読にしてしまう可能性もあったので今回はすぐさま読むことにした。
で、読み始めてみるとなんだかおかしい。ここでいうおかしいというのは語り手がおかしいということだ。16歳の少年が主人公で語り手だが、小さい頃に犬に噛まれて大怪我をし、それ以来、立ったまま小便をすることができなくなってしまう。しかしまあそれだけならばそれほどおかしいわけではない。一番おかしいのは主人公が過去に三人の人間を殺していることだ。そしてそんな自分語りの合間に、精神病院から脱走した兄が主人公に電話をかけてくるというエピソードが挟み込まれる。どうやら兄は自分に会いに来るのだ。そしてこの兄もおかしい。おかしいといえば主人公の父親もそうである。
ここまでくると語り手が本当のことを言っているのかどうかさえも怪しくなってくる。主人公にかけてくる電話は本当にお兄さんなのだろうか、いやお兄さんは実在の人物なのだろうか、主人公が父親といっている人物は本当に主人公の父親なのだろうか。
そんな不安とあやしさの中、主人公の身の上に何が起こったのかはラストで明らかにされるのだが、自分の身の上に起こった真実を知った主人公の気持ちの変化が、おもわずそれで良いのかと突っ込みたくなる。そんな終わり方の話だ。

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