『闇冥 山岳ミステリ・アンソロジー』馳星周監修

馳星周が編んだ山岳ミステリのアンソロジー。
350ページほどのページ数でありながら4編しか収録されていないのは松本清張の「遭難」が中編だからだ。
4編しかないということで物足りないかなと思いもしたが、読んでみるとそんなことはなく、数ある山岳ミステリの中から選ばれた4作ということでどれも面白い。
冒頭の松本清張の「遭難」は、天候が悪化したにもかかわらず先に進むことを強行してしまったために途中で遭難し、結果、三人のうち一人は亡くなってしまったという出来事を生き延びた二人のうち一人が書いた手記が前半、後半はその手記を読んで不審に思った、亡くなった男性の従兄弟が、生き延びたもうひとりの男性と一緒に追悼の意味を込めて遭難現場まで登山をするという話だ。
従兄弟が亡くなったのは天候悪化による単なる遭難ではなく、一緒に行動をともにした人間による作為があったからなのではないのだろうか。
しかし手記を読む限りでは従兄弟の死は遭難による事故死で誰かに殺されたわけではない。もっとも手記そのものが偽りだったとすれば犯人は自動的に手記を書いた人間ということになるのだが、物語の展開上は手記に偽りはないものとされている。必然的にもうひとりの人間が犯人ということになるのだが、その人間は助けを求めるために他の場所に行っていたのでその時間に犯行を犯すことは物理的に不可能だ。かといって何らかのトリックが使われたというわけでもない。
実際に手を下したわけではないので捕まることもない。したがって刑事処罰を受けることもないのだが、その一方で、真相が明らかになって世間に知れ渡れば社会的に罰を受けることになる。社会人としては死ぬのである。このあたりが過去の作品でありながら現代的でもある。
新田次郎の「錆びたピッケル」は滑落死した友人がその時に使っていたピッケルの頭の部分が欠けていたことを疑問に思った主人公がそのピッケルの製作者を探していく過程で、誰かがわざと質の悪いピッケルを作って彼に使わせて事故死させたのではないかという真相にたどり着く話なのだが、真相が明らかになっても、いや明らかになってしまったせいで誰も幸せになれないという皮肉な結末が苦い。
加藤薫の「遭難」は他の三作とは少し違っていて、六人のメンバーで登山をして四人が遭難して死亡する。
そこに不自然さはないものの、生き残った二人のうち一人がもう一方の人間を犯人扱いする。わざと強行させるようにけしかけてそして死なせたのだと。しかしそれが本当だったのかは最後まで明らかにはされない。けしかけることはしたのかもしれないが、そこに殺意まではなかったのかもしれない。
森村誠一の「垂直の陥穽」は一番短い話なのだが、この中では一番ミステリらしいミステリ、ようするに明確な殺意があり、そして実際に殺害を犯してしまう話だが、それ故に一番救いのない話だ。

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