正直な話をすれば僕は大原まり子の熱心なファンではない。
なので全部の作品を読んでいるわけではなく、その時々で興味をもった作品を読んできただけだった。
それはたぶん、大原まり子がSF作家としてだけではなく、1980年代という時代性をもった作家であり作品の中にその時代性が取り込まれていたせいだろう。かといって1980年代という時代が嫌いだったわけではない。ただ、その当時、僕がSFに求めるものはそういったものではなかったというだけに過ぎない。
しかし、そういった1980年代を通り越して1990年代に入った大原まり子の作品はそれ以前よりも僕の琴線にふれるようになってきた。
『ハイブリッド・チャイルド』
『エイリアン刑事』
『吸血鬼エフェメラ』
『戦争を演じた神々たち』
『アルカイック・ステイツ』
発表される作品数は少なくなってきたが、この時代の作品はわりと読んでいる。しかしその一方で期待が高すぎてしまったために読むのが勿体なくって、そのまま積読になってしまったものもある。その一冊がこの本だった。
主人公は時間を跳躍する能力を発現させてしまい、1988年から30年後の2018年にタイムリープしてしまう。この本が書かれたのが1993年なので2018年といっても25年後の未来なんだけれども、僕が読んだのは2019年。物語の中の未来はすでに過去だった。それが一番の驚きだったが、SF小説だからといって未来の予測小説ではないので、作中の未来の世界の描かれ方が現実とどう乖離してるのかなんてのは気にしても仕方がないけれども、スティングの「Englishman in New York」が流れるシーンがあると思えば、そういった具体的な要素を意識的に排除している部分もあって、実際に苦労したかどうかはさておき、苦心の跡が感じられる。
時間SFということでパラドックスをどう処理しているのかという部分は気になるところだったけれども、そこは緻密という方向ではなく、わりと緩やかに処理されていて、正しい時間軸とその脇道の時間軸という多世界解釈的な形になっている。
タイムパトロールという上位の存在が登場するのだが、これに関してはなかかな面白い設定になっていて、中盤以降で明らかにされる未来が結構驚きで、この未来像を読むことができただけでもよかったよと思う。
それでいて、時間SFにつきものの切なさもしっかり存在していて、正しい時間軸に固定された主人公の未来と、終盤で主人公が体験する決定的な悲しい出来事は、防ぎようのない決定された事項であるがゆえに、というか、派手なアクションを交えながらも確実にそこに向かっていくという展開を読まされていくわけで、いいなあ、この切なさは。
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