なんとも刺激的なタイトルだ。なにしろこの本はフィクションではなくノンフィクションなのだ。だからこの本に書かれていることは今現在、世界のどこかで行われていること、そして合成生物を作ろうとしている人たちがいるということだ。
と単純に書いてしまうと、合成生物を作るなんてそんな恐ろしい、と思ってしまう人もいるかも知れない。そんな人は安心してほしい。不安になるレベルの合成生物を作るにはまだまだほど遠いのだ。
しかし僕が想像していた以上に生命、というか細胞に近いものを作ることができていることに驚いた。そしてそれ以上に驚いたのは、まずそういった生命を作るにあたって、生命の定義から始まっていること、そしてその定義を突き詰めていくと哲学的なレベルで生命とは何かということを考えていく必要になるということだった。
科学が哲学と結びついていくということはその他の分野でもそうで、つまるところ科学と哲学は両天秤のような存在なのかもしれない。
テオ・ヤンセンという人がストランドビーストというものを作っている。ストランドビーストは風を動力源として歩く装置なのだが、テオ・ヤンセンはこれを生き物として定義している。ストランドビーストが動いている様子を見たことがある人ならばストランドビーストの動きがまるで生き物のように見えることはわかってもらえるはずだ。そして風を動力源としているということは言い換えれば風を食べて動くということでもある。風を食べることができなければその場に静止している。もちろん意思は存在しないけれども意思があることが生命の必須条件ではない。
ストランドビースト自己増殖することはできない。この点でいえば生き物とは言えないのだが、テオ・ヤンセンはストランドビーストの設計図を公開している。だからテオ・ヤンセン以外の人間でもストランドビーストを作ることができる。つまり自己増殖はできないけれども人の手を借りて増殖することができる。他の生物と共生する形で増殖することができる生き物なのだ。
この本ではストランドビーストについては触れられていないけれども、この本を足がかりとしていろいろと生命について思い耽ることができる。
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