『パラドックス・メン』チャールズ・Ⅼ・ハーネス

まさかチャールズ・L・ハーネスの『パラドックス・メン』が翻訳される日が来るとは思ってもいなかった。
ブライアン・オールディスがこの作品を評するにあたってワイドスクリーン・バロックという言葉を作ってまでも評価しようとした作品で、ワイドスクリーン・バロックという一つのジャンルの始祖となった作品なのだが、翻訳される機会に恵まれることはなかった。サンリオSF文庫が続いていたら翻訳されていた可能性もあったが、結果としてはそうはならなかったのでしかたがない。
といいながらも僕にとってのワイドスクリーン・バロックは『パラドックス・メン』ではなくって同じハーネスの『The Ring of Ritornel』のほうだったりもする。僕が読んだ本の中では『The Ring of Ritornel』のほうを高く評価している人が多かったからだ。なので『The Ring of Ritornel』もいつかは翻訳されるといいなと今でも思い続けている。
それはさておきワイドスクリーン・バロックというジャンルはSFのジャンルの中でももっともぶっ飛んだジャンルであってこれぞSFというジャンルなのだがその一方でガラクタを集めて作ったと評されることもあって、若い時ならともかくとして余計な分別のついてしまった年寄にはたして楽しむことができるのだろうかという市松の不安もあった。
なにしろ若い頃はあれほど好きだったヴァン・ヴォークトの『非Aの世界』も再読したら色あせてしまっていたし。
で、読み始めてみると、たしかに乗れない部分がある。主人公は記憶を失っている状態で、彼が何者なのかという部分が物語の駆動要素の一つでもあるけれども一方で彼の正体はなんとなく予測がついてしまう。ワイドスクリーン・バロックってそんなかんたんに予測がついてしまうものじゃないだろうという思いが楽しもうとする気持ちを邪魔してしまう。
のだが、そういった分別のある思いは無視するようにして読み進めていくと、非アリストテレスとかが登場してヴァン・ヴォークトじゃないかと思わずニヤリとしたり、終盤になると前半での伏線が次々と回収されていく状況とかをみるとワイドスクリーン・バロックというよりも丁寧に伏線回収していく小説として楽しむことができた。

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