『息吹』テッド・チャン

テッド・チャンの第一短編集『あなたの人生の物語』が出たときにはまさか次の本が出るまでにこんなにも待たされるとは思いもしなかった。
もっとも新作が発表されるたびにSFマガジンに掲載されていたので、テッド・チャンの新作をまったく読まなかったというわけでもなく、掲載された新作を読むことで、次の本がでなくてもある程度は満足していた部分もある。
ということで前半の短編はすでに既読だったが、内容を忘れてしまっていることもあって全部再読することにした。
そうしたら巻末に作者による解説がついていることもあってか、初読のときには気が付かなかった部分がいろいろと見えてきた。
「商人と錬金術師の門」は実現可能なタイムマシンということで、チャン自身はタイムマシンの登場する物語では過去を改変することができる物語が多いと言っているところが興味深い。
ちゃんと調べたわけではないので感覚的になってしまう部分もあるが、日本人作家が書いたタイムマシン物の場合は自由に改変される物語よりも、なんだかんだいってすべて予定調和の話のほうが多い気がする。
という点で、「商人と錬金術師の門」は日本人向きともいえる気がするし、そこで描かれている物語は過去あるいは未来を知ることで、それまで知ることのなかったことを知るという点で、ミステリ的だ。
「息吹」は読み直して、こんな話だったのかと改めて過去の自分のいたらなさを実感させられた。人類とは全く異なる知性体を作り出して、その知性体が自分の体の秘密を調べていくうちにこの宇宙の秘密を知ってしまうという部分は読んでいてぞくぞくとさせられる部分なのだが、そうして知り得た秘密に対してどう受け止めたのか、受け止めようとするのかという部分がこんな感じだったのか。
「オムファロス」は「息吹」と同様、こことは違う世界を舞台としている。ただし「息吹」と違ってそこに住む人々は人間と同じでキリスト教と同じ宗教を信仰している。ひとつだけ違うのはこの世界がおおよそ8千年ほど昔に突然発生したらしいということだ。物語はさまざまな証拠を提示してそれが正しいことを証明させていく。もちろんそれは作者がそうであると勝手にでっち上げているのであくまでこの世界はそういう世界であるというだけにしかすぎないのだが、この世界にはエーテルが存在しエーテルを媒体として光が進む世界だ。そしてエーテルが登場したあたりからテッド・チャンの妄想が炸裂していく。よくそんなこと考えつくなあと恐れ入るばかりなのだが、そんなぶっ飛んだ想像の飛躍から物語は一気に僕たちの世界と共通の感情に結びついて強引なまでにそれまでの物語を収束させる。
そこがイーガンと違ってテッド・チャンの暖かさを感じさせるのだ。
「不安は自由のめまい」はテッド・チャンにはめずらしく悪人を描いている。悪人といってもそんなにすごい悪人ではなくって金儲けのために他人を騙すといってレベルなんだけれども、読んでいてちょっと違和感を感じさせる程度に悪で、そこからどういう方向へと向かうのかと思ったら、なるほどそういう方向に進んでいったのかということでやっぱりテッド・チャンはテッド・チャンだったということで安心した。SFとしての部分に関しては多世界解釈をちょっとおもしろいアプローチで描いていて面白い。
新しいテクノロジーによって社会がどのように変化していくのかというよりも、その世界に住む人々がそのテクノロジーによって翻弄されながらも最終的にはそれが存在しない世界に住む僕たちと同様に世界と折り合いをつけていこうとする、そんな話が多い。

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