『一端の子』深山はな

第一話はちょっとすごいな。
高校を舞台とした何気ない女子高生同士の友情の話であるかのように物語が進んでいくのだが、終盤での見開きいっぱいを使った一コマがこの第一話のすべてだ。
それまでは主人公の行動のみで心情が描かれていないので、友情だと思わされていたけれどもそこには悪意があったという展開も考えられたのだが、そこにあったのは悪意ではなく一方的な愛だったのだ。いや愛といってしまっていいのか、限りなく悪意に近い、しかし悪意などまったくなく、そこにあるのは自己中心的な愛なのだ。
続く第二話はまったく別の物語となるのだが、そこでも同性に対する愛が描かれる。今流行りの百合なのかといえば、そうかもしれないのだが、僕の認識の範囲ではこれは百合ではない。
相手のことを思いやる気持ちなど微塵もなく一方的な、いわば暴力的な愛なのだ。しかしそれが悪いというわけではない。それは若さゆえの一方的なひたむきさからくるものなのだ。
と思いながら読み進めていくと一人の男の子が登場する。彼は異性ではなく同性が好きなのだ。
女の子同士の恋愛の話ばかりだと思っていたら変化球が来た。
彼はそのことで同級生からからかわれるのだが、そのことを否定することもなく生きている。そのことを知った同級生の女の子は彼と仲良くなるのだが、しかし彼女は彼のことが好きなわけではない。ただ友人として彼のことを知ろうとする。そして彼のことを否定はしない。彼も彼女が自分の理解者となってくれたことに好意を持っている。意外や意外、彼は物語のなかでそれなりの幸せを掴んでいくのだ。
しかし、それは作者によって否定される。
それはまるで生半可に理解したような気持ちになっている読者に厳しい現実を突きつけるかのようで、試されているのは読者のほうだったのだ。

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