偶然、電子書籍化されたタイミングで見つけ、なぜなのかわからないけれどもタイトルに惹かれるものがあったので買って読んでみることにした。
タイトルにもなっている「ルイジアナ杭打ち」と「ジパング」という二篇の短編が収録されている。電子書籍なのでページ数は定かではないが、紙の書籍にしにたとしてもそんなに厚い本ではない。
「ルイジアナ杭打ち」は作者の自伝的な話のようで、幼少期に暮らしたアメリカでの出来事をエッセイ風にまとめたものだ。なのでいくつもの短い短編がひとつにまとまった短編という形式になっている。
そこに書かれた内容が実際にどのくらい事実と一致しているのかはわからないが、事実に即したエッセイであろうが、脚色のほどこされた物語であろうが読み手としてはどちらでもかまわない。
時代的には1960年代なかばということで僕が生まれる少し前。その時代の雰囲気が現れているかといえば、残念なことにその時代のアメリカの様子など詳しくないのでわからないけれども、ただ一つはっきりとわかるのは公民権運動が行われている時代で、黒人差別が当たり前の時代、社会であるということだ。そして作者の家族も黄色人種で、黒人差別ほどではないが、差別の対象となっており、そのなかで作者は生活をしていく。
「ジパング」のほうは「ルイジアナ杭打ち」とはまったく毛色の違う小説で「ルイジアナ杭打ち」と同じ感じの小説だと思って読み始めて驚いた。スニーカーと会話する猫や、そのスニーカーを履いている男は記憶喪失で自分の名前すら思い出せない。職務質問した警官は業を煮やして彼の手の指の骨を折ってしまう。警官と記憶喪失の男は新聞記者と警官とともに病院に行く。一方で記憶喪失の男を探す双子の姉妹が登場するが、彼女たちは最後の最後まで男と出会うことはない。その合間にスニーカーと会話する猫は女真族の物語を語り始める。
こうして書き記してみても、なにがどうなっているのかわからないのだが、終盤、真っ白な光が光り、町も人々も消滅する。真っ白な光がなんなのか説明はされない。ひょっとしたら原爆を意味しているのかもしれないが、そうでもないかもしれない。
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