買い物から帰ってくると、真衣と彼氏がマジで喧嘩する五分前だった。世界終末時計よりは時間は残っている。屋根の上ではカラスが祖父の亡骸をついばんでいた。
「だからさっさと謝れって言ってるんだよ、あ た し は」真衣が怒鳴る。
「知らねーよ、そんなこと」彼氏が言い返す。
「お前、謝ると死ぬ病にかかってるのか?」
「死ぬに決まってるだろ」
「ああん? いま死ぬのと、謝って死ぬのとどっちがいいのか選べよ」
彼氏が私に気がついたようで、助けを求める表情を向けてきた。
「邪魔だった? もう少し外に出ていようか?」私は買い物袋をテーブルに置きながら二人に声をかけた。
「涼子は邪魔じゃないからいてもいいよ」真衣が答える。
「じゃあ、俺が代わりに外に出るよ」「おめーはここにいろよ」
やれやれだ。どうせたわいもないことで喧嘩してるんだろう。
「なにを言い争ってるんだ?」助け船を出してみた。
「あたしがあとで食べようと思ってたプリンを食べちまいやがったんだよ」
「だから食ってねーって言ってるだろ」
「おめーが食わなかったらだれが食うんだよ」
「自分で食べておいて忘れちゃったんじゃないのか」私が答える。
「そこまで馬鹿じゃないわよ」
そこそこ馬鹿だという自覚はあるらしかった。でもごめん、それ食ったの私だ。昨日の夜。と心の中で謝る。
「とにかく食ってねえんだよ、俺は」
「じゃあ、誰が食ったのよ」
「ま、食ったことにしておけば。そうそうプリン買ってきたんだよ」買い物袋からプリンを取り出して二人に見せた。
「しょうがねえな。食ったよ。俺が」
「じゃあ、謝れ」
「嫌だ」
「悪いことしたら謝るのが当然でしょ」
「謝ったら死ぬだろ」
真衣は額に手をおいてつぶやいた「謝ったら死ぬ病かよ」
「そうじゃなくて、マジで死ぬだろ」
「なんで?」
「ニュース見てないのか?」
「ニュースなんて頭の悪い人間が見るもんでしょ」
「ちょっとは世界で何が起こっているのか知っておいたほうがいいんじゃないのか?」彼氏が言う。
「あたしと涼子は世の中の辛酸を男達に教える仕事をしているからいいのよ。教えてもらうんじゃなくて教えてあげる側の人間だから」
私と真衣が教える側の人間なのはともかくとして、なんか知らないウィルスのせいで、謝ったら死ぬ病が蔓延しているのは確かだった。治療方法は見つかっていない。でも謝らなければ死なないわけだからとりたてて困ることもない。大抵は「知らない」の一言で済む。なんて素晴らしい世の中になったんだろう。
「んー、ようするに謝ったら死ぬから、謝らないことを認めろってことね。ちっ! これも多様性か」真衣が言う。
多様性じゃねえだろと思った。
「そーだよ。さっきからそう言ってるだろ」
多様性なのか?
「プリンを食べたのは俺じゃないってことしか言ってなかったわよ」
「細けえことはいいんだよ。けつの穴の小さい奴だな」
「小さくてわるかったわね、でもあんたと違ってしまりはいいわよ、ふん」鼻でせせら笑う。
「とにかく謝らねえからな」
「多様性を認めろってことね」
「ちげーよ」
「いい? 多様性って単なる無秩序なのよ」真衣は偉そうに言う。
「無秩序でいいんじゃない」私は言った。
「んー。そうね、そっちのほうがいいか。じゃ、ゆるしてあげる」そういうと真衣と彼氏はいちゃつき始めた。マジで恋をするのには五秒もかからない。
やれやれ、ちょっと人恋しくなったじゃないか。私も相手を見つけに出かけよう。
愛を語る前に私は女の皮膚を着た 。
<終り>
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