まさかロバート・F・ヤングの長編が翻訳されるとは思わなかったよ。
河出書房新社から出ていた奇想コレクションの最終巻、『たんぽぽ娘』の訳者解説ではヤングの短篇集が編まれる可能性があることは示唆されていたけれども、ヤングといえば短編作家というイメージが強く、長編もあるのは知っていたけれども、わざわざ翻訳するだけの価値があるのかどうなのかまでは疑問でもあった。もっとも出たら出たで読むつもりだったけれど。
『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』に収録された中編を長編化したものということだったけれども、では中編版と長編版とどこが違うのだろうかといえば、基本的にはほとんど同じで、追加になった設定であるクーという存在もそれほど意味があるわけでもない。幾何学的な形態という点で山田芳裕の『度胸星』に登場したテセラックをちょっと思い出したんだけれども、ひょっとしたら『度胸星』のテセラックもクーに似たような存在だったのかもしれない。
しかし、中編をほぼ同じ内容で長編にふくらませたからといって、水増し感があるわけでもなく、「たんぽぽ娘」のような物語を期待して読めばそのものずばり、こちらの期待感に答えてくれる、というてんで「たんぽぽ娘」とほぼ互換性があるかもしれない。それなりの山場はあるものの、残り二十ページぐらいになるまではそれほど大きく物語が動くわけでもなく、こんな調子で大丈夫なのかと心配になってきたところで、一気に畳み掛けるように決着がつくのは悪くなく、「たんぽぽ娘」の終盤で主人公が全てを理解する展開とまったく同じなのだ。
他のSF作品と比べると物足りなくなるだろうけれどもヤングの作品として読めば、全然物足りなくなどない物語だった。
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