昔、ドラゴンクエストVというゲームがあった。
ゲーム内の時間の経過について見てみると非常に長丁場のゲームで、主人公の少年時代から始まり成長して結婚し、子供が産まれ、そして子供たちと冒険をするのである。
で、このゲーム、この設定を利用した一つの仕掛けがしてあって、成長して大人になった後で少年時代に過ごした村に行くと違和感を感じるようになっているのだ。村自体が一回り小さくなっていてちょっとだけ狭く感じるのである。ねらい通りの効果が出ているのかといえば疑問ではあるが、子供の視点と大人の視点の違いを表現しようとしていたのであった。
そう、確かに子供の頃の世界はその行動半径の狭さに反して、広かったのである。
そしてまだ僕が小さかった頃、その小さな行動半径の中に一軒の本屋さんがあった。
現実の世界の行動半径は狭く、そしてまだまだその世界は小さかったのだけれども、僕はその小さな本屋さんを中心にして本の世界で行動半径を広げ、活字の世界を渡り歩いていったのである。
その本屋さんは四畳半にも満たない小さな個人経営の本屋さんであったのだけれども、ようやく活字の世界を渡り歩こうとした僕にとっては四畳半であってもとてつもない広さであり、それ以後数年間、その本屋さんは僕の世界の中心だったのである。
それから数年後、僕は一冊の本の存在を知ることとなる。
その本の存在を知ったのは石川喬司の『SF・ミステリおもろ大百科』だった。インターネットなどなく、本に関する情報を手に入れるすべさえない地方に住む少年にとって長い間『SF・ミステリおもろ大百科』はよき水先案内人だった本だった。僕はこの本を片手に現実の世界の書店を巡り歩いては読みたい本を探していったのであるが、そろそろ次の指標が欲しくなったのである。
しかし、どの書店に行ってもその本は見つからない。今までは探している本が見つからなくってもその変わりに必ず別の本が見つかり、手ぶらで帰る事など無かったのであるが、今回は少し違った。始めての挫折をここで味わったのである。そこで僕は意を決し、今まで使わなかった奥の手をもちいることにしたのだ。
今ではもう世界の中心ではなくなってしまった小さな本屋さんに行き、その本を取り寄せてもらうことにしたのである。
しかしその頃はまだ体も幼かったけれども、それ以上に考えも幼かった。取り寄せてもらうように頼んだ時点でもう既に手に入れたも同然のように考えていたのである。しかし現実は厳しく、非情であった。ここで始めて「絶版・在庫なし」という言葉を知ったのである。
取り寄せという始めて出した切り札が見事に封じられてしまったのである。そのあまりの衝撃はトラウマとなり、今でも取り寄せをしようと考えるとこの悪夢を思い出してしまうのである。そのせいで取り寄せを頼んだのはこれが最初で最後となったままだ。
しかしそれから三十年後、とまではいかないものの二十数年後、その本を手にすることとなった。まあもう少し早く手にすることも出来たのであるがそれでも数年の差でしかない。
手にとっても不思議と感動も興奮も何もない。それはそうだ、今となってはそこに書かれた内容など既に必要とはしない状態なのだからである。
ただ、一つだけ誤算だったのは、この本がSF小説のガイドブックだと思っていたらそうじゃなかったことだ。どちらかといえば科学エッセイに近い内容であった。
題名からしてそのように誤解してもしかたない部分もあるが、福島正実がこの本で書こうとしたのはSF小説の世界ではなく、SFが描くことの出来る世界と現実の世界との繋がりの部分なのである。
そう思うとシンプルでありながらも奥の深い題名にも思えてくるのだ。
そして読み終えたとき何ともいえない愛おしさがこみ上げてきた。それは多分、僕の活字の世界の、一番中心に近い場所の、ずっと空白だった空間が埋まったからなのだろう。
まだまだ空白の場所はあちらこちらに点在する。しかし、一番中心に近い場所は埋めることが出来たのだ。
さて、次の空白を埋める準備をしながらも、まだまだ広がる活字の世界をのんびりと渡り歩いていこう。
『SFの世界』
- 著 福島 正実/
- 販売元/出版社 三省堂
- 発売日 1976
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