濁った激流にかかる橋 (講談社文芸文庫) 伊井 直行 講談社 2007-07-11 |
死ぬまでに読んでおきたい本リストなどというものを作っているわけではないけれども、そんな物があったとしたら上位に位置していたのがこの本。
というわけで読み終えた今現在、あまりにも満足しきってしまったため恐ろしいことにいつ死んでも全く悔いが残らない気分なのである。
一本の川によって分断されたとある町。川の氾濫が起こるたびに堤防を強化し、強化するたびにそれを上回る氾濫が起き、川はいつの間にか濁った激流と化してしまう。そして左右の町を繋ぐのはたった一本の橋。様々な思惑と事情によって橋はいつまでたっても一本しか作られず、たった一本の橋は改修と増築によって複雑怪奇な巨大建造物へと成り果ててしまう。
九本の短編からなるこの物語の第一話はこの橋を渡りきるだけの話だ。ただ橋を渡るだけなのにもの凄い困難と苦難の物語となっているのである。
各話は主人公も文体も時系列も異なる別々な話であり、先に登場した人物が別な話で脇役として登場したりしながらも、そのつながりが曖昧模糊であり物語の登場する橋と同様、一筋縄ではいかない複雑な構造となっている。特に時系列まわりは縦横無尽、計算されていないように見えて、実に絶妙なバランスが取られている。何かとんでもない物を見せつけられているようでもあり、近代社会を舞台にしながらもマジックリアリズムを成り立たせているところが素晴らしい。
絶妙といえば、第三話に登場する妄想女の扱いも素晴らしい。第三話はゾクリとさせるホラーとしても読めるのだが、この妄想女が後半の話では名前が与えられて再登場する。そして名前が与えられた瞬間、妄想女の狂気は、常識からちょっと逸脱した程度に矮小化されてしまう。第三話であれほどの狂気を見せた妄想女はちょっと変人程度になってしまうのである。
そして最終話、様々な人物が再登場し、そしてこの濁った川に六十年に一度の大逆流がやってくる。
死の瞬間、走馬燈のようにそれまでの人生が浮かんで来るという話があるけれども、この物語も人生の走馬燈を一瞬のうちに見せつけるような形で幕を閉じる
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