R.A.ラファティ著 / 井上 央訳
ロバート・F・ヤングの「ピーナツバター作戦」とともに復刊したラファティのオリジナル短編集ですが、なんといってもラファティの全長編を俯瞰した巻末の解説が圧巻。
中身は相変わらずのラファティで、愉快なほら吹き話なのだけれども、愉快だからといってゲラゲラと笑える話ではないところが他の短編集と少し違うところで、全体的に厭世観が漂っていて、読み続けているとだんだん気分が暗くなる。
世界で一番みすぼらしい男が宇宙一の美女と出会って結婚する話である「究極の被造物」などは、世の中何事も釣り合いがとれるようになっていて、悪いことがあればそれに見合った良いことが起こるのだなとという教訓めいた、いい話で終わるのかと思えば、釣り合いがとれると言うことは振り子のようなもので、それが起こるときには多少のぶり返しがあるといって、悲しい出来事が最後に起こってしまう。しかし主人公はその事実をやがては受け入れてしまう。それはあくまで多少のぶり返しと言うことなのだから、致命的に悲しい出来事ではないのだ。
フレドリック・ブラウンの短編にも似たような読後感の話があるのだけれども、ぶり返しに過ぎないと言い切ってとぼけてしまうあたりがブラウンとラファティの違いなんだろうなあ。
中身は相変わらずのラファティで、愉快なほら吹き話なのだけれども、愉快だからといってゲラゲラと笑える話ではないところが他の短編集と少し違うところで、全体的に厭世観が漂っていて、読み続けているとだんだん気分が暗くなる。
世界で一番みすぼらしい男が宇宙一の美女と出会って結婚する話である「究極の被造物」などは、世の中何事も釣り合いがとれるようになっていて、悪いことがあればそれに見合った良いことが起こるのだなとという教訓めいた、いい話で終わるのかと思えば、釣り合いがとれると言うことは振り子のようなもので、それが起こるときには多少のぶり返しがあるといって、悲しい出来事が最後に起こってしまう。しかし主人公はその事実をやがては受け入れてしまう。それはあくまで多少のぶり返しと言うことなのだから、致命的に悲しい出来事ではないのだ。
フレドリック・ブラウンの短編にも似たような読後感の話があるのだけれども、ぶり返しに過ぎないと言い切ってとぼけてしまうあたりがブラウンとラファティの違いなんだろうなあ。
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