エドモンド・ハミルトン著 / 野田 昌宏〔ほか〕訳
一時は全集の完結を諦めていました。紀田順一郎によれば、「出す出すといってなかなか出さない東京創元社」ですから。
でも、待った甲斐がありました、いや実際は待ってなどいなく諦めていたんだけど。短編とということで鶴田謙二の絵も大盤振る舞い、解説の充実さもあってスペオペ嫌いでもSFが好きならこれだけは買っておけというマストバイ。
しかし、あえて誤読に近い読み方をするならば、一度終了させたシリーズを短編として再び復活させることに対するハミルトンのやる気のなさ、もしくは開き直った態度のようなものがどことなく感じられる。
なにしろサイモン博士は成り行き上とはいえ脳死状態の他人の体に自分の脳を移植させてしまうし、エズラ・ガーニーは今の人生を捨て去って過去の想いでにひたりまくろうとするし、グラッグはノイローゼになるは、カーティス・ニュートンでさえ神のごとき力を手にした瞬間、欲望に身を任せてしまいそうになる。おまけに難攻不落だったはずの月の秘密基地でさえ悪人の侵入を許してしまうのだ。ジョオンも酷い目にあわせられるのだが、その為に存在するキャラクターなのでこれは今までと変わらない。無事なのは、というかいつもと変わらないのはオットーだけで、ノイローゼになったグラッグにいつも通り、鬼のような酷い仕打ちをする。
そう、フューチャーメンは長編では考えられないほどのとんでもない目に遭わせられるのだ。グラッグがノイローゼになる話など、書くのがいやになったハミルトンがうち切られることを期待して書いたんじゃないかって勘ぐりたくもなる、いや、しかしこの話が一番の傑作だったりするから始末に負えない。
なかでも一番のやる気の無さが垣間見られるのが「もう地球人では……」で、1991年に木星へと冒険に出かけ途中で船が大破し一人宇宙に放り出されて仮死状態となった男が主人公だ。そしてキャプテン・フューチャーに助け出されるのだけれども、この男が何とも情けない。
自分が生きていた時代から未来に来てしまったことでうじうじと悩むのだ。カーティス・ニュートンが生まれたのが1990年で第一話の「宇宙帝王事件」が2015年。「危機をよぶ赤い太陽」では「輝く星々のかなたへ!」が12年前とされているので、「危機をよぶ赤い太陽」の時にはカーティス・ニュートンは少なくとも37歳となっており、2027年。この短編では具体的な年代が明記されていないけれども、まあ2027年からそれほど時は経過していないのではないかと思われる。たかだか40年前後、知り合いだって生きている可能性が高い。未知の世界を求める冒険野郎がこの程度で悩むとはとうてい考えられないというか情けなさ過ぎる。「エイリアン2」のリプリーよりはましなんじゃないのか。
で、さらに地球へやって来た彼は娘たちが気軽に宇宙旅行を楽しんでいる会話を聞いて、宇宙旅行を簡単にとらえている彼女たちにむかつくのだ。当の本人は単なる冒険野郎のくせにである。おまけに宇宙開発で命を落とした人々のモニュメントを見て、こんなもののために俺たちは……と嘆く始末。命を落とす覚悟の上に宇宙船乗りになったんじゃないのかおまえはと言いたい。
しかし、しかしだ。どうしようもない結末になるかと思いきや、ラストはきれいにうまくまとまり、爽やかな読後感でさえ残してくれるのである。ものすごく納得がいかないのだけれども、この着地のうまさはさすがといわざるを得ない。
でも、待った甲斐がありました、いや実際は待ってなどいなく諦めていたんだけど。短編とということで鶴田謙二の絵も大盤振る舞い、解説の充実さもあってスペオペ嫌いでもSFが好きならこれだけは買っておけというマストバイ。
しかし、あえて誤読に近い読み方をするならば、一度終了させたシリーズを短編として再び復活させることに対するハミルトンのやる気のなさ、もしくは開き直った態度のようなものがどことなく感じられる。
なにしろサイモン博士は成り行き上とはいえ脳死状態の他人の体に自分の脳を移植させてしまうし、エズラ・ガーニーは今の人生を捨て去って過去の想いでにひたりまくろうとするし、グラッグはノイローゼになるは、カーティス・ニュートンでさえ神のごとき力を手にした瞬間、欲望に身を任せてしまいそうになる。おまけに難攻不落だったはずの月の秘密基地でさえ悪人の侵入を許してしまうのだ。ジョオンも酷い目にあわせられるのだが、その為に存在するキャラクターなのでこれは今までと変わらない。無事なのは、というかいつもと変わらないのはオットーだけで、ノイローゼになったグラッグにいつも通り、鬼のような酷い仕打ちをする。
そう、フューチャーメンは長編では考えられないほどのとんでもない目に遭わせられるのだ。グラッグがノイローゼになる話など、書くのがいやになったハミルトンがうち切られることを期待して書いたんじゃないかって勘ぐりたくもなる、いや、しかしこの話が一番の傑作だったりするから始末に負えない。
なかでも一番のやる気の無さが垣間見られるのが「もう地球人では……」で、1991年に木星へと冒険に出かけ途中で船が大破し一人宇宙に放り出されて仮死状態となった男が主人公だ。そしてキャプテン・フューチャーに助け出されるのだけれども、この男が何とも情けない。
自分が生きていた時代から未来に来てしまったことでうじうじと悩むのだ。カーティス・ニュートンが生まれたのが1990年で第一話の「宇宙帝王事件」が2015年。「危機をよぶ赤い太陽」では「輝く星々のかなたへ!」が12年前とされているので、「危機をよぶ赤い太陽」の時にはカーティス・ニュートンは少なくとも37歳となっており、2027年。この短編では具体的な年代が明記されていないけれども、まあ2027年からそれほど時は経過していないのではないかと思われる。たかだか40年前後、知り合いだって生きている可能性が高い。未知の世界を求める冒険野郎がこの程度で悩むとはとうてい考えられないというか情けなさ過ぎる。「エイリアン2」のリプリーよりはましなんじゃないのか。
で、さらに地球へやって来た彼は娘たちが気軽に宇宙旅行を楽しんでいる会話を聞いて、宇宙旅行を簡単にとらえている彼女たちにむかつくのだ。当の本人は単なる冒険野郎のくせにである。おまけに宇宙開発で命を落とした人々のモニュメントを見て、こんなもののために俺たちは……と嘆く始末。命を落とす覚悟の上に宇宙船乗りになったんじゃないのかおまえはと言いたい。
しかし、しかしだ。どうしようもない結末になるかと思いきや、ラストはきれいにうまくまとまり、爽やかな読後感でさえ残してくれるのである。ものすごく納得がいかないのだけれども、この着地のうまさはさすがといわざるを得ない。
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