マルセル・エイメ著 / 中村 真一郎訳
何が驚いたって、翻訳者である中村真一郎のプロフィールをみて驚いた。
「モスラ」の原作者として知られている。
知らなかったよ。
中村真一郎といえば、私の中では福永武彦・丸谷才一との共著「深夜の散歩」の作者の一人として認識していたわけで、「深夜の散歩」は私にとっての素晴らしい水先案内人でしたよ。
で、「壁抜け男」というと筒井康隆の「旅のラゴス」の一エピソードでもありましたが、壁抜け男の末路はどちらも同じだったのが面白いところです。
しかし、発端は適当でありながらも話の運びかたが筋道だっているのが意外だった点で、「カード」などは非生産者たちに生存カードなるものが配給され、このカードの枚数分しか生存する事が出来なくなってしまう法律が施行される話なんだけれども、どういう仕組みでそれが成立するのかなどは説明されないわりに、それによって社会がどのように変化していくのかは筋道だって語られる。
カードが無くなるとその場で消え、来月まで死んだ状態になるのだけれども、他人のカードをもらい受ければその分余分に生存することが出来る。そして生存はあくまで月単位なので、カードを32枚手に入れればその人は一月で32日生存することが出来るのだ。なんじゃそりゃ、といいたくなる話だねこれは。
「サビーヌたち」は同時存在-ようするに分身-する事が出来るサビーヌという女性の話なんだけれども、最終的に彼女は六万数千人にも分身し様々な人生を同時に送ることとなる。
「よい絵」はとある画家の描いた絵が、見るだけで栄養を与えてくれて食料危機が解決してしまう話なんだけれども話はそこでとどまらず、同じような効力を持つ画家が他にも現れそれが有効芸術と名付けられ、そのうち有効彫刻・有効音楽まで登場し夢のような世界になってしまうのだ。
しかし一番驚いたのは「パリのぶどう酒」で、ぶどう酒嫌いのぶどう作りの男の話かと思いきや途中で作者が現れ、この男の話を続けるのはもう我慢が出来ないと、別の男の物語を語り始めてしまうのだ。なんじゃそりゃと言いたくもなるのだが、驚くべき事に最後まで読むといきなり最初の男が登場し二人の男の人生が重なるのである。
「モスラ」の原作者として知られている。
知らなかったよ。
中村真一郎といえば、私の中では福永武彦・丸谷才一との共著「深夜の散歩」の作者の一人として認識していたわけで、「深夜の散歩」は私にとっての素晴らしい水先案内人でしたよ。
で、「壁抜け男」というと筒井康隆の「旅のラゴス」の一エピソードでもありましたが、壁抜け男の末路はどちらも同じだったのが面白いところです。
しかし、発端は適当でありながらも話の運びかたが筋道だっているのが意外だった点で、「カード」などは非生産者たちに生存カードなるものが配給され、このカードの枚数分しか生存する事が出来なくなってしまう法律が施行される話なんだけれども、どういう仕組みでそれが成立するのかなどは説明されないわりに、それによって社会がどのように変化していくのかは筋道だって語られる。
カードが無くなるとその場で消え、来月まで死んだ状態になるのだけれども、他人のカードをもらい受ければその分余分に生存することが出来る。そして生存はあくまで月単位なので、カードを32枚手に入れればその人は一月で32日生存することが出来るのだ。なんじゃそりゃ、といいたくなる話だねこれは。
「サビーヌたち」は同時存在-ようするに分身-する事が出来るサビーヌという女性の話なんだけれども、最終的に彼女は六万数千人にも分身し様々な人生を同時に送ることとなる。
「よい絵」はとある画家の描いた絵が、見るだけで栄養を与えてくれて食料危機が解決してしまう話なんだけれども話はそこでとどまらず、同じような効力を持つ画家が他にも現れそれが有効芸術と名付けられ、そのうち有効彫刻・有効音楽まで登場し夢のような世界になってしまうのだ。
しかし一番驚いたのは「パリのぶどう酒」で、ぶどう酒嫌いのぶどう作りの男の話かと思いきや途中で作者が現れ、この男の話を続けるのはもう我慢が出来ないと、別の男の物語を語り始めてしまうのだ。なんじゃそりゃと言いたくもなるのだが、驚くべき事に最後まで読むといきなり最初の男が登場し二人の男の人生が重なるのである。
コメント
はじめまして。こんにちは。
>中村真一郎
>「モスラ」の原作者
ですが、河出文庫の『怪獣文学大全』(東雅夫編)に、
「発光妖精とモスラ」が収録されており、読むことができます。
作者は中村真一郎・福永武彦・堀田善衛のリレー小説です。
よろしければご一読ください。
ティーバラさん、こんにちは。
『怪獣文学大全』に収録されていたのですか、それは知りませんでした。
それはそうと、モスラに福永武彦も絡んでいたのですね。
見つけたら読んでみることにします。