中島 らも〔著〕
昔々の事である。
とある歌謡番組に出演していたゲスト歌手に司会者が、最近どんな本を読んでいますか、と聞いた。その歌手は、○月○日にはこれこれこういうことが起こったということが書かれている暦の本を読んでいると答えたのである。
その番組を見ていた当時中学生だった私はその本を読んでみたくなったのであるが、質問はそこで終わってしまい、その本のタイトルも著者名も、そしてもちろん出版社名も判らないままだった。
インターネットなどという物は存在しなかった時代である。私が住んでいた場所は、大きな書店など近くに存在しない地方の田舎である。たったこれだけの情報で探し出すというのは不可能に近い。
無い頭脳を振り絞って思いついたのが、タイトルに「暦」という言葉が含まれている可能性があるかもしれないということ。
で、見つけたのが星新一の「きまぐれ暦」という本。ぺらぺらとめくってみると本文中に日付が含まれている。これに違いないと喜んで購入し、家に帰って読み始めた。しかし何かが違うのである。それもそのはずだ、この本は星新一のエッセイ集に過ぎないのだから。そしてこれが私と星新一の書籍との初めての出会いであった。
しかし、目的の本でなくってがっかりしたかといえばそうではなく、この本の面白さに魅了され日本SFにはまり込むきっかけとなった。そして、肝心の暦の本に対しての興味は全く失ってしまったのである。
で、この本であるが、暦の本に対して興味を失ってしまったことに何だか突然後ろめたい気分におそわれてしまったので、買ってしまったのである。
もちろんこの手の本を読んだとき、真っ先に調べるのは自分の誕生日で、どれどれ調べてみると……。
天使のささやきの日、ノアの洪水の日
となっていた。なんだか非現実的な日に生まれたものだ。私がSFの虜になっても仕方ない気がしてきた。
とある歌謡番組に出演していたゲスト歌手に司会者が、最近どんな本を読んでいますか、と聞いた。その歌手は、○月○日にはこれこれこういうことが起こったということが書かれている暦の本を読んでいると答えたのである。
その番組を見ていた当時中学生だった私はその本を読んでみたくなったのであるが、質問はそこで終わってしまい、その本のタイトルも著者名も、そしてもちろん出版社名も判らないままだった。
インターネットなどという物は存在しなかった時代である。私が住んでいた場所は、大きな書店など近くに存在しない地方の田舎である。たったこれだけの情報で探し出すというのは不可能に近い。
無い頭脳を振り絞って思いついたのが、タイトルに「暦」という言葉が含まれている可能性があるかもしれないということ。
で、見つけたのが星新一の「きまぐれ暦」という本。ぺらぺらとめくってみると本文中に日付が含まれている。これに違いないと喜んで購入し、家に帰って読み始めた。しかし何かが違うのである。それもそのはずだ、この本は星新一のエッセイ集に過ぎないのだから。そしてこれが私と星新一の書籍との初めての出会いであった。
しかし、目的の本でなくってがっかりしたかといえばそうではなく、この本の面白さに魅了され日本SFにはまり込むきっかけとなった。そして、肝心の暦の本に対しての興味は全く失ってしまったのである。
で、この本であるが、暦の本に対して興味を失ってしまったことに何だか突然後ろめたい気分におそわれてしまったので、買ってしまったのである。
もちろんこの手の本を読んだとき、真っ先に調べるのは自分の誕生日で、どれどれ調べてみると……。
天使のささやきの日、ノアの洪水の日
となっていた。なんだか非現実的な日に生まれたものだ。私がSFの虜になっても仕方ない気がしてきた。
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