きみがぼくを見つけた日

きみがぼくを見つけた日 上
オードリー・ニッフェネガー著 / 羽田 詩津子訳


それにしてもラブロマンスとはいえ、上巻は非常にかったるい。ラブロマンスってこんなもんなんでしょうか。話が始まっていきなり何の伏線もなしに二人がくっつくというか恋愛状態になってしまうのも白けてしまうが、その後、延々と上巻全部を費やして二人のなれそめが語られるのにはまいりました。そもそも冒頭で二人が結婚することはわかっているのですから、結末がどうなるのか想像しながら読むのとはわけが違います。結婚するってわかっているなら障害なんて無きに等しいわけで、とっとと結婚させてしまって話を次へ進めればいいのですよ。まさか上巻の終わりまで引っ張るとは思いませんでした。結果がわかりきっているつまらない展開を読まされるのは苦痛以外の何物ではありません。
主人公はタイムトラベラーであるヘンリーとその妻クレアの二人、そして物語の語り手は交互に変わります。同じ状況がそれぞれの立場から語られるので、ある種ザッピング小説であるとも言えます。このザッピングのおかげでものすごく詳しく主人公たちの心理状態が語られるので、数ページ読み飛ばしても内容がしっかりわかる親切設計です。行間を読むなんて面倒なことをしなくても大丈夫です。
この親切設計のおかげでページをめくる手が早かったのですが、それにしても話が長い。おまけにダダ甘の内容。そして二人ともさかりがついてるのでセックスしまくり。上巻の終わりでようやく結婚にこぎ着けたときは、ようやく終わってくれたと、感謝しました。
主人公の一人ヘンリーは制御の出来ない先天的タイムトラベラーで、ストレスが溜まるとどこか別の時代へ肉体のみタイムトラベルをしてしまうという特異体質。制御の効かないタイムトラベラーという身の上は同情するけれども、跳んだ先で衣服などを調達するために追い剥ぎやら、窃盗やらを繰り返す主人公の姿に共感はあまり出来ません、というかしたくない。ストレスが引き金になるというのであれば、跳んだ先で衣服の調達をしなければいけないという生存競争の方がよりストレスが溜まりやすい気がして、無限タイムトラベルをおこしそうな気もするのですが、そのあたりは無視されています。ヘンリーと一緒にタイムトラベルの謎を解明をしようなんて思ったらいけません。なにしろタイムトラベルに関する説明は、全てを理解している大人のヘンリーが要所要所で説明してくれるので、読者は何も悩む必要がないのです。ラブロマンスに集中しろと言わんばかりの強引な手法でもあります。
タイムトラベルということでパラドックスに関して言えば、決定論の世界のようであり、主人公も未来のことは積極的に語ろうとせず、パラドックスを避ける行動をしているので、パラドックスは起きていない、もしくは起こらないように見えます。しかし主人公は幼い自分に掏摸のテクニックや鍵開けのテクニック等、サバイバル技術を教え込んでいます。主人公が覚えた犯罪テクニックは、いったいどこから現れたものなのだろうかと疑問に思うのですが、気にしちゃいけません。この程度のことを気にしてしまうと、二人の愛はいったいどこから発生したものだという、物語の根底を支える大問題に行き着いてしまうからです。いわゆる「存在の環」の問題ですね。もっともパラドックスがあるから駄目というわけじゃありません。中途半端に処理している部分が脱力感を誘うだけなのです。
タイムトラベルが二人の愛の障害だと書かれていますが、過去に戻ってもヘンリーが幼いクレアと出合っている場面が多いので、障害になっているようにも見えません。タイムトラベルしなければクレアと出合うことも無かったのでしょうから、ちょっとぐらい我慢しろっていいたくもなります。
しかし、下巻に入って話は一変。遺伝子解析を行い、タイムトラベルの原因を解明。ネズミに遺伝子操作を施しタイムトラベルねずみを作り出すという驚異の展開。SF風味の恋愛小説だと思っていたので思わぬ展開に大喜び、感動ものですよ。長く辛い上巻の存在は、この感動を味わうための作者の試練だったと思いましたよ。そう簡単には感動させちゃいけないという。
もっともこの展開も、タイムトラベラーの体質を受け継いだ子供を作らせる為だけのエピソードではありましたが……。おなかの中にいるうちに勝手にタイムトラベルし、その結果流産してしまうという悲惨な状況になるのです。子供を作るのにここまで苦労するのであれば、ヘンリーはどうして生まれたのか疑問に思ってしまいましたが、多分相当な運を使い切って生まれたのでしょう。なるほど、ヘンリーは不幸になるはずです。
タイムトラベルねずみのあたりまでは面白かったんですよ、ほんとに。子供が産まれる可能性が出来たって喜ぶあたりはとくにね。しかし親切設計な作者はこの後二人の子供が無事産まれることを途中で暴露してくれちゃいます。おかげで、子供が無事産まれるかどうかドキドキしながら読む必要もなくなりました。主人公たちがいくら苦しもうが読者の方は結果がわかっています。
まあそれはともかく、よくよく考えると酷い展開です。生まれてきた子供は男の子ではなく女の子ですよ。ヘンリーはタイムトラベルをするたびに殴られて血だらけになったり、ガラスの破片で血だらけになったり、服を盗む為に何の罪もない人間に暴行を加えなければいけないわけで、男だからまだましですが、それが生まれてきたのは女の子……。
子供がタイムトラベラーになるかも知れないということを知っていながら、まったくこいつらは……頭おかしいんじゃねえのかと思いましたよ。
もっとも、そんなもんですよ、世の中。下巻にしっかり書いてあります。

過去、現在、未来で、たった一人の女を愛し続けた男、そしてたった一人の男を待ち続けた女

子供のことなんか一番目に愛してないし、一番待ってもいません。
しかし、読んでいる最中はそんなこと感じさせませんから大丈夫。デンジャラスゾーンに触れそうなことは一切考えさせない作者の手腕は見事なものです。むしろ考えたら負けです。
それに、決定論の世界なのですから、主人公たちを責めるのもかわいそうです。どんなに非難されようが彼らは子供を産むしかないのです。むしろ非難すべきはそんな展開を用意した作者のほうでしょう。
娘は多分大丈夫なんです。作者が不幸に描いていないから大丈夫なんだってば。タイムトラベルが遺伝子に依存する病気であるという設定でありながら、娘の方はある程度、行き先と時間をコントロール出来るという作者の幸せ設定が涙を誘います。
そろそろこのあたりで不協和音が鳴り響きます。物語の中でもそうですが、作者と私の間でです。この作者信用ならねぇ……と。
さてその後、親切な作者のことですからこの先ラストに向かって何が起こるのかも親切に教えてくれます。何が起こるのか予想するなんて面倒なことをしなくても大丈夫です。ラストの感動に向けての盛り上げも万全です。盛り上げるためには何をしても良いのだと言わんばかりの展開です。ここでしらけてはいけません。
話はどんどん盛り上がっていくのですが、この展開に脱落してしまった私はどんどん盛り下がっていきました。
で、結末は「エンディミオンの覚醒」でしたか。
ま、気持ちはわからないでもないけども、束縛から解放してやれよヘンリーって思いましたよ。
途中のエピソードで9.11事件がちょっとだけ登場するのだけれども、それが本筋と密接に関係することになるわけではありません。ようするにそんなエピソードがいっぱいのお話なのです。
売れるラブロマンスとしては完璧なお話でしたが……オレが読むと何でこんな読み方になってしまうのだろう?

コメント

  1. kazuou より:

    うーん、すごい酷評ですね。いろいろ言われると、いちいちその通りで、僕はなんてつまらない作品を読んだんだろうと思えてしまいます。
    たしかに全巻の展開はかったるいと言えばそうなんですが。ご都合主義のラブロマンスにのれないと、つらいのかも(僕はこういう、かったるいラブロマンスがけっこう好きなのです)。
    くっつくのがわかってるカップルの恋愛描写がだるい、というのも、まあロマンスのお約束であって、基本的にこういう話が合わなかったのでは? 僕はSFというよりはロマンス本として読んだので、ツッコミ所はかなりありますが、あんまり気になりませんでした。
    ちなみに、Takemanさんは、ロバート・F・ヤングとか梶尾真治とかの大甘作品ってダメなんですか?

  2. Takeman より:

    中編ぐらいのボリュームであったなら多少の欠陥があっても満足できたと思います。やっぱり長すぎると読んでいる最中にあれこれ考えてしまうんですよねえ。
    かといって、このくらいのボリュームにせざるを得なかった事情みたいなものも想像できるので、それほど非難しているつもりはないんですよ。って、そう見えないかもしれないけども。
    あくまでSFとして読んでしまった感想なので、ロマンス小説として読んで楽しめたのであればそれはそれで私からしてみればうらやましい限りです。
    ヤングも梶尾真治も好きですよ。ただ、専業作家になったあたりの梶尾真治は今ひとつって気もします。もちろん全ての本を読んでいるわけではないのでたまたまハズレばかり読んでしまっているのかも知れません。
    ヤングは中学のころ読んだっきりなので今読んで楽しめるかどうか不安な部分もありますね。奇想コレクションのヤングの短編集が楽しみでもあり不安でもあります。

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