E.E.スミス著 / 井上 一夫訳
原題からすれば「惑星連合の戦士」としたほうが正しいのかもしれないけれど、スペースオペラの題名としてみた場合、「火星航路SOS」の方が断然燃えます。
解説では火星人や木星人が登場するのはご愛敬というようなことが書かれていたけれども、こちとら伊達に何十年もSFを読んできたわけではありません。火星人や木星人が登場したって平気です。真空管が登場したって大丈夫。木星の衛星ガニメデに呼吸出来る大気があっても驚きません。ガニメデに緑の植物が生い茂っていたって平然と受け入れますよ。主人公たちが不時着したガニメデで石炭を探しはじめても……。
石炭ですか……。
まあ植物が生い茂っているのだからその延長線上で行けばガニメデで石炭が採掘出来たっておかしくないけど……。
畜生、石炭でつまずいちまったぜ。
まあそれはともかく血わき肉おどる痛快スペースオペラと思いきや、異星人に襲われ、主人公とヒロイン二人っきりで漂流し始めたとたんに読んでいる方が恥ずかしくなるようなデレデレとした会話が始まりだしたのには参りました。
確かに、誰もいない衛星で男女二人きりの生活なんて男の子の夢ですよ。さすがドク・スミス男の子の心をがっちりとつかむ設定に抜かりはありません。ウィル・マッカーシイの「コラプシウム」の表紙をあの絵にするぐらいならば、こっちの方をそうした方がぴったりですよ。
それはさておき、設定といえば、主人公たちが途中で土星人と遭遇するんですが、この土星人というのが嫌悪感を抱かせる姿形をしているのです。もちろん向こうから見れば地球人の方こそ気味が悪い。しかし、主人公たちは健全なる精神と知性でこれを克服します。ブラッドベリの嫌悪感を押さえきれなかった「趣味の問題」とは大違い。ここまで健全な精神と知性を見せられてしまうとブラッドベリの感性がひ弱に見えてしまいます。ビバ、知性と精神。
しかしドク・スミス、味方となる異星人にはたぐいまれなる健全性を見せつけるのですが、敵とみなした異星人には情け容赦ありません。
今回の敵は、木星の六肢人。彼らに対しては「精神というものがずっと少ない」と決めつけます。精神が少なければ慈悲もないそうです。翻訳が適切だったのかどうかわからないけれども「精神というものが少ない」ですよ。凄まじい侮辱言葉。
さらには、そうは言っても話し合えば判るかも知れないだろう……、などと読者に思わせないように、そういう考えを起こしそうな場面になると捕虜にした六肢人たちが大暴れして味方の警備員が五、六人殺されます。
オレ(作者)が敵だと決めたやつは絶対に敵なのだとでも言わんばかりの展開です。読者だって、こんな敵皆殺しにしてしまえと洗脳、いや思ってしまいますよ。
そして、主人公たちが味方に救助され、敵の極悪さが披露され、いよいよ血わき肉おどる痛快スペースオペラが始まると思いきや、いきなり主人公とヒロインの結婚式が始まります。これから戦いが始まろうとしているのに何を考えているのか判らない主人公たち。いや、もちろん自分たちの欲望に忠実なだけです。さらには、母親が地球にいて結婚式に参加出来ないことが残念だというヒロイン。
ヒロインもヒロインならば主人公も主人公。ウルトラ・ラジオ送受信機を使えば地球からでも参加出来ると、負荷がかかりすぎて壊れる可能性があるのにもかかわらずウルトラ・ラジオを動かします。無事結婚式は終わるのですが、案の定予備セットも含めて壊れてしまいます。
しかしドク・スミス、味方に対しては大甘、男の子の浪漫の為なら抜かりはありません。予備セットが壊れても、予備部品はたくさんあると、たった二行で修理してしまいます。
予備セットは無いけど、予備部品はある。
この身も蓋もない設定に思わず感動いたしました。
それにしてもこの表紙、木星にも環があることは知っているが、どうにもこうにも土星のように見えます。土星もちょっとは舞台となるのだけれども、メインの舞台は木星。ま、最近のハヤカワの表紙にあれこれ言っても仕方ないことなんだけれども……。
解説では火星人や木星人が登場するのはご愛敬というようなことが書かれていたけれども、こちとら伊達に何十年もSFを読んできたわけではありません。火星人や木星人が登場したって平気です。真空管が登場したって大丈夫。木星の衛星ガニメデに呼吸出来る大気があっても驚きません。ガニメデに緑の植物が生い茂っていたって平然と受け入れますよ。主人公たちが不時着したガニメデで石炭を探しはじめても……。
石炭ですか……。
まあ植物が生い茂っているのだからその延長線上で行けばガニメデで石炭が採掘出来たっておかしくないけど……。
畜生、石炭でつまずいちまったぜ。
まあそれはともかく血わき肉おどる痛快スペースオペラと思いきや、異星人に襲われ、主人公とヒロイン二人っきりで漂流し始めたとたんに読んでいる方が恥ずかしくなるようなデレデレとした会話が始まりだしたのには参りました。
確かに、誰もいない衛星で男女二人きりの生活なんて男の子の夢ですよ。さすがドク・スミス男の子の心をがっちりとつかむ設定に抜かりはありません。ウィル・マッカーシイの「コラプシウム」の表紙をあの絵にするぐらいならば、こっちの方をそうした方がぴったりですよ。
それはさておき、設定といえば、主人公たちが途中で土星人と遭遇するんですが、この土星人というのが嫌悪感を抱かせる姿形をしているのです。もちろん向こうから見れば地球人の方こそ気味が悪い。しかし、主人公たちは健全なる精神と知性でこれを克服します。ブラッドベリの嫌悪感を押さえきれなかった「趣味の問題」とは大違い。ここまで健全な精神と知性を見せられてしまうとブラッドベリの感性がひ弱に見えてしまいます。ビバ、知性と精神。
しかしドク・スミス、味方となる異星人にはたぐいまれなる健全性を見せつけるのですが、敵とみなした異星人には情け容赦ありません。
今回の敵は、木星の六肢人。彼らに対しては「精神というものがずっと少ない」と決めつけます。精神が少なければ慈悲もないそうです。翻訳が適切だったのかどうかわからないけれども「精神というものが少ない」ですよ。凄まじい侮辱言葉。
さらには、そうは言っても話し合えば判るかも知れないだろう……、などと読者に思わせないように、そういう考えを起こしそうな場面になると捕虜にした六肢人たちが大暴れして味方の警備員が五、六人殺されます。
オレ(作者)が敵だと決めたやつは絶対に敵なのだとでも言わんばかりの展開です。読者だって、こんな敵皆殺しにしてしまえと洗脳、いや思ってしまいますよ。
そして、主人公たちが味方に救助され、敵の極悪さが披露され、いよいよ血わき肉おどる痛快スペースオペラが始まると思いきや、いきなり主人公とヒロインの結婚式が始まります。これから戦いが始まろうとしているのに何を考えているのか判らない主人公たち。いや、もちろん自分たちの欲望に忠実なだけです。さらには、母親が地球にいて結婚式に参加出来ないことが残念だというヒロイン。
ヒロインもヒロインならば主人公も主人公。ウルトラ・ラジオ送受信機を使えば地球からでも参加出来ると、負荷がかかりすぎて壊れる可能性があるのにもかかわらずウルトラ・ラジオを動かします。無事結婚式は終わるのですが、案の定予備セットも含めて壊れてしまいます。
しかしドク・スミス、味方に対しては大甘、男の子の浪漫の為なら抜かりはありません。予備セットが壊れても、予備部品はたくさんあると、たった二行で修理してしまいます。
予備セットは無いけど、予備部品はある。
この身も蓋もない設定に思わず感動いたしました。
それにしてもこの表紙、木星にも環があることは知っているが、どうにもこうにも土星のように見えます。土星もちょっとは舞台となるのだけれども、メインの舞台は木星。ま、最近のハヤカワの表紙にあれこれ言っても仕方ないことなんだけれども……。
コメント
【悪い宇宙人をやっつけろ!】火星航路SOS
宇宙人がいて、木星には固い地面が存在する=なにしろ本書は1931年の作品で、コンピュータはもちろん、テレビや人工衛星すら存在しなかった時代の古き良きスペースオペラなのである。設定は滑稽かもしれないが、いまから70年後のスターウォーズやガンダムはどうだろうか。私は、SFは面白ければ、それでよいと思う。