小川 洋子著
あえて「あざとい」という言葉を使うこととしよう。
80分しか記憶のもたない人間の物語。それだけで自分の琴線に触れてしまう話である。年を取って記憶力に自信がなくなってきたせいも多分にあるのであるが…。
それにしても小川洋子はあざとい。一人称の物語なので主人公は「私」としか命名されない。主人公の息子には名前があるにもかかわらず、博士につけられた「ルート」としか呼ばれない。そして博士は「博士」である。「私」「ルート」「博士」としか呼ばれないために現実から解離した世界が生み出される。
主人公の誕生日からくる220という数字と博士の時計の284。この二つの数字は友愛数だと物語の中では言及され「私」と「博士」の関係が特別なもののように意味づけられてしまうが、それは作者がそのように設定したからである。野球選手の江夏が登場するのも背番号が「28」だったからに過ぎない。なんてあざとい設定なのだろう。
主人公は派遣家政婦なので博士の込み入った私生活にまでは立ち入らないし、一日の仕事が終われば帰ってしまう。そして博士の記憶はリセットされる。何か事件が起こっても一日経てば元通りになる完成された世界がそこにあるのだ。しかしあざとい作者はそんな世界に対して少しずつ綻びを残していくのである。
やがて博士の小さな世界は積み重なった綻びのために解体されてしまう。
そして僕は小川洋子の作り出した世界の美しさに涙するのである。
80分しか記憶のもたない人間の物語。それだけで自分の琴線に触れてしまう話である。年を取って記憶力に自信がなくなってきたせいも多分にあるのであるが…。
それにしても小川洋子はあざとい。一人称の物語なので主人公は「私」としか命名されない。主人公の息子には名前があるにもかかわらず、博士につけられた「ルート」としか呼ばれない。そして博士は「博士」である。「私」「ルート」「博士」としか呼ばれないために現実から解離した世界が生み出される。
主人公の誕生日からくる220という数字と博士の時計の284。この二つの数字は友愛数だと物語の中では言及され「私」と「博士」の関係が特別なもののように意味づけられてしまうが、それは作者がそのように設定したからである。野球選手の江夏が登場するのも背番号が「28」だったからに過ぎない。なんてあざとい設定なのだろう。
主人公は派遣家政婦なので博士の込み入った私生活にまでは立ち入らないし、一日の仕事が終われば帰ってしまう。そして博士の記憶はリセットされる。何か事件が起こっても一日経てば元通りになる完成された世界がそこにあるのだ。しかしあざとい作者はそんな世界に対して少しずつ綻びを残していくのである。
やがて博士の小さな世界は積み重なった綻びのために解体されてしまう。
そして僕は小川洋子の作り出した世界の美しさに涙するのである。
コメント
本屋で見かけて気になったんですけど、思ったのと全然違う内容ですね。
「ジキル博士とハイド」っぽいのを想像してたんですけど、全然面白そうです。
今度買ってみますね。
「ジキル博士とハイド」っぽいってのはいいですねぇ。
あれとは違って、心の中の闇とか人間関係のどろどろとしたものってのは表面上には出てこないきれいな話でしたよ。
たまにこういう本を読むと心が洗われたような気がしていいものです。
あくまで気がするだけですが…。