藤野可織の短編集『おはなしして子ちゃん』に収録されていた短編「ピエタとトランジ」の完全版だ。
完全版というのはどこがどう違っているのかといえば「ピエタとトランジ」以降の物語が新たに書き繋がれたということである。
藤野可織の小説を読むのは『おはなしして子ちゃん』が初めてでそれ以降は読んでいない。『おはなしして子ちゃん』が今ひとつだったということでもない。じゃあ当時、この本を読んでどういう感想を抱いていたのかと思うのだがあいにくとこの時期は感想を書いていない。そもそも読んだという記憶も曖昧で確かに読んだという記憶がある反面「ピエタとトランジ」に関しては読んだ記憶がまったくない。他の短編の印象のほうが強くて薄れてしまったのかもしれない。
で、本題に戻ろう。完全版のほうを読んでまず最初に頭をよぎったのは、これって舞城王太郎だなあということだった。とにかく主人公であるピエタとトランジの二人の少女の周りでは殺人事件が起こりまくる。それというのもトランジが自分の周りで殺人事件を誘発してしまうなんらかの原因を持っていてトランジの行く先々で殺人事件が起こっていくのだ。しかしそのトランジに一番近い場所にいるピエタはといえば一番近いところにいながらもなぜか殺人事件には巻き込まれずそして自らが殺人犯となることもなくトランジと行動をともにしている。トランジは頭が良いので事件が起こっても起こった次の瞬間には犯人がわかってしまいそして謎は現れた瞬間にトランジによって解決されていく。そんなあたりが舞城王太郎っぽい。一方で自分たちの周りで次々と人が死んでいきながらもあっけらかんとしている、そしてお互いに毒舌を吐きながらも仲の良い二人の様子は牧野修の小説にも似ている。
のだが、中盤あたりになるとそこから逸脱し始める。というかこの物語、長編ではなく連作短編なんだけど、話が進むにつれて主人公たちが歳をとっていく。最初は女子高生だったけれども大学生になり社会人、ピエタは結婚して離婚して、そして二人は老人になっていく。そんなにも長い期間、ピエタとトランジは付かず離れずの関係のまま生きていく。これは藤野可織による百合というジャンル小説に対する回答なんじゃないかと思うのだが、ピエタとトランジの二人の彷徨の果てにたどり着くのはこれまた人を喰ったかのような場所で、特にこの本の場合、元となった短編「ピエタとトランジ」が最後に収録されているので、思わずニンマリとしてしまう。
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