歳を取るということ

僕も気がつくと、いや気がつかなくっても、半世紀を生きて年寄りと呼ばれても不思議ではない歳になった。まあ50代ならば年寄りというよりも中年といったほうがいいのかもしれないが、織田信長の時代であれば人間50年で、年寄りどころか死んでいても不思議ではない歳だ。
この歳になってくるとあまり期待されることが少なくなって、というか新しいことは若い人たちがやることで、年寄りがやることではないと思われることが多くなってきて、それはそれで気が楽なのだが、では、当の本人はなにか新しいことをやる気力もなくなってきているのかというと必ずしもそうではない。
若いほうが思考が柔軟とか、あるいは年寄りのほうが経験がある分、いろいろできるとか、視点をどこに置くかで変わってくるけれども、一般的には若い人のほうに軍配があがるし、期待する人も多い。
僕も歳を取るまでそんなことは考えたことがなく、あくまでそれは自分本位であって、他人の行動など興味がなく、自分の行動にしか興味がなかったせいでもあるが、実際に歳を取ってみると、革新的な新しいことをしようとする気持ちが減ってきていることに気がつく。
それは体力的な衰えとか、思考的な衰えのせいかというと実はそれとは無関係で、要するに許せてしまうということの影響が大きい。
革新的な新しいことを行おうとすると、それに反対する人というのは必ず出てくるし、不幸になる人も出てくる。
若いうちはそういった部分に目を向けることなく突き進むことができるのだが、歳を取ってくると、若いときには気がつかなかった部分にも気がつくようになり、見えなかったことが見えるようになってくる。
そうすると反対意見を遮ってまで押し通すことができなくなってしまう。
反対意見には反対意見なりの理というものがあって、そういう意見も一つの意見で、自分と異なる考え方を許すことができてしまう。
なにか新しいことをしようと思っても、それによって不利益を被る人が出てくる可能性があると思うと、そこまでしてやることなのかと思ってしまう。
こういう考え方をすることを、人間丸くなったというのかもしれない。

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