『名も知らぬ夫』新章文子

まさか新章文子の短編集がでるとは思わなかった。
僕は江戸川乱歩賞を受賞した『危険な関係』しか読んでいなかったが、『危険な関係』はけっこう面白かった記憶がある。なにしろ読んだのは30年以上も前のことなのでどんな話だったのかすら忘れてしまっているが、それでも読んでがっかりしたという記憶はまったくない。
しかし一作しか読んでいないのは当時はまだ文庫派で単行本は高くて手が出せなかったという理由がおおきい。詳しく調べたことはないけれども、新章文子の作品は作品数に比べてあまり文庫化されていないはずだ。
トリック主体の作風でもなく、意外な真相というものもあるわけでもなく、デビュー作の『危険な関係』という題名からも想像できるように人間関係のサスペンスが主体の作風だけあって、今あらためて読むと物足りなさはある。
しかしその物足りなさという部分は、この作者に求めるものが違っているからであって、そういう部分を取り除いて読んでみると、なかなかおもしろく読むことができる。
この中では表題作の「名も知らぬ夫」が一番良いと思うのだが、母娘二人で生活している主人公のもとに母の妹の息子が尋ねてくる。主人公の母とその妹はある出来事かた疎遠となってしまっていた。そして妹の方は亡くなってしまう。従兄弟は主人公たちと一緒に住むことになりやがて母親の希望もあって主人公と婚約関係を結ぶ。しかし、従兄弟の態度や行動に不信を覚えた母娘は彼の過去を調べ始める。やがて彼の過去が明らかになるのだが、彼の過去そのものはそれほど意外な真相でもないし、その過程で死人がでるのもそれほど衝撃的な展開でもない。しかし、自分の夫の過去すべてが明らかになったとき、彼女が見た今現在の夫の姿の描かれ方というのが実に面白く、この人物像を描きたくってこの物語を書いたんじゃないかとすら思えてくる。
他の作品も同様な部分があって、ミステリ的な要素もあるにはあるのだが、殺人の動機でもなく犯人の犯行心理でもなく、そういった部分から少しだけ外れたところに作者の視点というものがあって、犯罪を犯す人間の姿に夾雑物をあたえて、少しだけいびつな人間像という厚みをだしている。

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