リチャード・マシスンというと短編での切れ味の鋭い作家というイメージがある。そんなわけだから、ハヤカワ文庫NVで出ていた『縮みゆく人間』を読まなかったのはそれが長編だったことと、単に一人の男がどんどんと縮んでいくだけの話で、さらにいえば、結末がどうなるか知ってしまっていたからでもある。同じ長編でありながら『地球最後の男』の方は読んだのは、僕の好きな終末ものっぽい感じと先が読めそうもない展開とラストがどうなるのかわからなかったからだ。
しかし、『縮みゆく人間』が『縮みゆく男』と改題され新訳で出るとなったら読まないわけにもいかなくなる。
それに歳をとると小説の読み方にも変化がおきて、ただ単純に縮んでいくだけの物語をマシスンがどのように長編としての分量をもたせているのかということにも興味がでるのだ。
で、読み始めていくとこれが予想もしない描き方で驚いた。
まず、主人公が前向きではなく、自分の今の境遇に不満だらけで、苦難に立ち向かう物語の主人公からはかけ離れた人物造形なのだ。しかし、それはある日突然自分の体が縮み始めてしまうという難病に侵された一人の人間の物語であるとすれば、これ以上ないリアルな物語で、例えば主人公が病気の治療のための検査にかかるお金に対して心配するという点や、お金がかかるので生活にも困り、治療を止めてしまうといったところ、更には夫婦生活ができなくなるに連れての生理的な問題、病気の当事者が抱える心の問題と家族の側の心の問題、そして心のすれちがい等、中学生の頃に読んでも多分この物語の面白さってのは理解できなかっただろう。
そんな苦しみの中、作者が主人公に与えたラストは、科学的には理解できないのだが、心情的には理解できるささやかな希望なのだ。
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