『カッコウが鳴くあの一瞬』残雪

相変わらず何が書いてあるのかわからない。
いや書かれている事柄は理解できる。一つ一つの文章は理解できる言葉になっているし、それが登場人物の行動や考えだった場合でも何が起こったのか、そしてどういうふうに感じたのか。そこは理解できる。
しかし、それ一つの文章の範囲、つまり句読点までのはなしだ。今よんだ文章と句読点をはさんだ次の文章とがどういうふうにつながっているのかとなるととたんに難しくなる。文章と文章がどういうふうにつながっているのか理解できなくなる。
短編集なのでそんなつながりのない文章を読んでいってもそれほど辛くはないけれども、それでも限度というものがある。
結局、残雪の小説を読んでも感じ取ることができるのは、一番最初に残雪の小説を読んだときの感触、「霧の中を歩いているように、直前の目の前にあるものははっきりと見えるのだけれども、少し離れた場所にあるものは何も見えない。何かあるというだけしか感じることが出来ない。その感じの部分がとてつもなく恐ろしいのだ。」と同じなのだ。
「刺繡靴および袁四ばあさんの煩悩」という話などは比較的わかりやすい話だ。袁四という屑拾いのおばあさんが夜な夜な主人公の家に入り込んできて家の中のものを引っ掻き回したり挙句の果てに部屋の中で小便をしたりする。しかし数日後、袁四ばあさんは自分が探していたものが見つかったと主人公に言う。袁四ばあさんはとあるものを探し回っていたのだ。探しものがみつかり目的を達成することができたのだからこれで袁四ばあさんに悩まされることなく眠ることができると主人公は安堵するのだが、袁四ばあさんはこれから毎晩、どうしてそうなったのかという経緯をお前に話にくるといって、その一部を話し始める。
ある種、残雪版千夜一夜物語とも言えるかもしれないが、それはこの物語が続いた場合であって、残雪のこの物語は一夜目だけで終わってしまう。

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