角川映画が『犬神家の一族』を映画化して横溝正史ブームを巻き起こした頃まだ僕は小学生で、本格ミステリ小説を読むといったことはしていなかった頃だが、横溝正史ブームはそれからしばらく続き、本格ミステリ小説を読むようになって、横溝正史の作品もいくつか読むようになった。しかし、そのころの角川文庫の横溝正史の本の表紙は杉本一文による絵でありとにかく怖かった。もともと怖がりな僕は、本屋で買ってカバーをつけてもらってようやく読むことができた、というくらいにこの表紙が苦手で、なので、横溝正史の小説は飛び飛びにしか読んでいない。とくに『犬神家の一族』と『八つ墓村』は先に映画を観てしまったので読まなくってもいいかと安心したくらいだ。
大人になるとそんなこともなくなり、でもあまり好きにはなれないのだが、読み逃している作品を読もうかと思うかと思うとそんなわけもなく、いってみれば僕の中での横溝正史ブームも消え去っていた。
そんなある時、横溝正史のエッセイを集めた『探偵小説昔話』が電子書籍化されていることを知り、いまさら横溝正史でもあるまい、と思いつつ目次を見たところ、都筑道夫との対談が収録されているので買って読んだ。
その中で都筑道夫が、正確にいうと都筑道夫のお兄さんのほうだが『夜歩く』を凄い作品だと褒めている部分があっった。それがどういう理由で褒めているのか、という部分で『夜歩く』のメイントリックがわかってしまったのだが、わかってしまっても興味は出る。
ということでメイントリックがどういうふうに使われているのかというところに注意をはらみつつ読んでみたのだが、やはり傑作だと言われることの少ないこの本、手放しで傑作というわけでもないのだなあと思った。
がしかし、首なし死体の謎とその理由や、犯行動機といった部分は横溝正史の傑作群とくらべてみても遜色はないし、悪くはない。
メイントリックは読み終えた直後はちょっとずるい気もしたのだが、よくよく考えてみると納得できるし、それほどずるくもない。
最初の事件が東京で起こってから作中の時間で二ヶ月経過したあとで舞台は岡山に移るのだが、金田一耕助が登場するのはそこから更にあと。なのであまり見せ場がないまま事件を解決する。やっぱり殺人事件を防ぐことのできなかったという防御率の悪さなど、そのあたりが物足りなさに結びついているのだろう。
あとは杉本一文の表紙の絵かな、やっぱり。
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