『二つの月の記憶』を読んで初めて岸田今日子が俳優としてだけではなく作家としても素晴らしいものを残してくれたことを知った。それまで僕は岸田今日子という人をムーミンの声の人で女優でもあった人という認識しかなかったのだ。
『二つの月の記憶』が出たのが2008年のことでその時にはもう岸田今日子は亡くなっていて、そして当たり前のように岸田今日子が出した本も絶版状態だった。
とはいってもネットを使えば古書を手に入れるのは難しいことではなかったけれども、専業作家ではないので出した本の数も少ない。慌てて全部一気に手に入れるくらいならばそのときに応じて手に入れたほうがいいだろうと思って十年以上が経過した。
しかし、復刊される気配はまったくないので今がその時と思い、二冊ほど手に入れることにした。
一言で言えば、童話をベースとした暗黒メルヘンだろうか。
「お兄ちゃま」はグロテスクな物語だ。作者を彷彿させる主人公のもとに一人の女性から一通の手紙が届く。その手紙に書かれていたのは兄に対する想いであり、その兄は自分の肉体を永遠のものとするために友人の力を借りて手術を行った顛末である。兄は結果として人形のような肉体を手に入れるがそれは食事を摂る必要もなくなった人形そのもの体であり自分の意志で体を動かすこともできない永遠の19歳の体だった。それでも手紙の差出人は兄に対する想いを失うことなく、いやそこには近親相姦という要素が存在しているのだが、彼女は年老いて兄よりも先に死を迎えることになるため、主人公に兄を託そうとする。そのために手紙を出したのである。主人公はその兄を引き取り、世話をすることになるのだが、自分もやがては死を迎えなければならない。そうなったとき彼の世話を見ることになるのは自分の娘である。そこで彼女は嫉妬する。
「ウサギごころ」は一ページにも満たない短い話。
ウサギのことを好きになった狼はウサギのために菜食主義になることを決意する。ウサギを食べたくないためである。しかし、菜食主義となった狼は徐々にやせ細り弱っていく。そんな狼を見たウサギは黒豹の元に行き、狼のねぐらの場所を教える。狼のことをライバルと思っている黒豹は狼のねぐらを襲い狼を殺してしまう。それを知った穴熊はウサギに、なんてひどいことをするんだと嘆くのだが、ここでウサギが返した言葉がひどい。
いや、これこそがひょっとしたら生き物の本能なのかもしれない。そんな気さえする。
「人形」と「悲恋」はA・E・コッパードの「若く美しい柳」を彷彿させる。どんなに恋い焦がれても、それは永遠ではなく、叶えられなくなったとき、その想いは消えてなくなるのだ。
「七匹の仔山羊」はグリム童話の「狼と七匹の子山羊」を読んでその矛盾に疑問に思った少女に対する答えでもある。仔山羊といえども六匹の山羊をまるごと胃袋に入れることなど不可能だろうと考える少女。最後に母山羊が狼のお腹を切り開い6匹の仔山羊を助ける以上、五体満足でなければいけなくって、つまり狼は仔山羊をまるごと飲み込まなければならないのだ。そして6匹の仔山羊に対するこの物語で明かされる真相は残酷でそしてそれは当然の結果でもある。しかしそこまではまだいい。この物語での最大の焦点は少女でも、童話の真実でもなく、狼に食べられなかった7匹めの仔山羊にある。真実を知った仔山羊の行動は「ウサギごころ」でも描かれた感情に行き着く。
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